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何でも読もう会

『北越雪譜』(初篇巻之下)

浜田 道雄
大月 和彦

(本の紹介)

『北越雪譜』の第4回目

①秋山郷の話(作者の見聞録)  浜田レポート

  1. 秋山郷の村々 (地図—秋山郷 略)
     現在は新潟県の津南町から国道405号線が切明まで入っている。そこからは雑魚川林道、奥志賀林道を経て、長野県の栄村などや群馬県の草津、嬬恋まで出られる。
    「秘境」と呼ばれているが、牧之もはいったように、江戸時代にも周辺の村との交流はある程度はあった。庄屋制度や宗門帳の整備もしており、年貢などの義務も果たしている。
  2. 鈴木牧之の秋山郷旅程 ( 略 )
  3. 天明卯年の凶年
     天明3(1783)年のこと。この前後の年を含めて「天明の大飢饉」と呼ばれ、92万人以上の餓死者がでたといわれる。江戸時代の四大飢饉の一つ。
     秋山郷の発祥と言われる「大秋山村」はこの年の飢饉で全滅した。
  4. 平家伝説と大赤沢村の八幡宮
     牧之は大赤沢で八幡宮を見つけ、平家伝説に疑問を投げかけている。 八幡宮は源氏の守り神だから。
  5. 生活など
住 居:
柱は掘立柱。横に張る貫は柱に組まず、藤蔓で縛る。屋根及び壁は茅で張る。
床はムシロをしく。深い囲炉裏。いろりの上の棚に粟、稗を干す。
生活具:
鍋、碗などの簡単な生活具の組み合わせ。ヤカン、土瓶、すり鉢などはない。
碗、盆などは木製品か。
服 装:
女は髪油を使わない。髪は丸めて手拭いでハチマキする。子供はサンバラ髪。
食 料:
粟、稗、栃、椎の実などを粉にして食べる。餅にしたり、おかゆのようにする。
秋山名物の「豆腐汁」 裏ごしせず、おからごと。
農 業:
焼畑耕作。一部に田作りをしているとこもあるがわずかである。
宗 教:
寺院、庵はない。大赤沢に八幡宮がある。  仏壇のある家は少ない。
秋山郷の外に菩提寺が定められている。越後側の村々の菩提寺は上妻有村の 善福寺(曹洞宗)。
氏 姓:
ほとんどが山田か福原。
  1. 疱瘡入るを許さず
  2. 猿飛橋あたりの描写。
     牧之の教養が偲ばれる。
  3. 三倉村の老女の言葉など
     中越方言と関連が深いと言われている。「ち」と「き」の発音の混同。「チセル」など。
  4. 老女の織っていた布
     「いら」 イラクサのこと。これを織って「あみ衣」を作る。「あみ衣」とは「さよみ」のような袖なし羽織。「さよみ」はカラムシ(イラクサ?)の繊維で細かく織った布。
    アイヌの人々もイラクサの皮から繊維をとって布を織る。
  5. 小赤沢の市右衛門宅のすり鉢
  6. 秋山郷の人々の人柄
     「この土地の人全て篤実温厚にして…」と絶賛している。
  7. 行政関係
     全くの“隠れ里”ではない。かっては会津領だったが、いまは出雲崎の代官の支配。
    稗高は百石。
  8. 上野原村近くの女妖怪
  9. 「黒駒太子図」と「系図」
     牧之は秋山探訪で、この「黒駒太子図」と「系図」を見たいと願っていたが、余人に見せずと断わられ、果たせなかった。
     「系図」は小赤沢の福原平右衛門が所持しているとしていた。
     「黒駒太子図」は同じ小赤沢の山田助三郎が持っている。現在は二幅残っている。

②鮭の話    大月レポート

○鮭の字考

○鮭の食用 魚軒(さしみ)、なます、煮る、焼くその他の料理がある。塩漬けにした塩引きまたは干鮭は古い書(新撰古鏡)にも見える。
 延喜式に出ている「内子鮭」は子持ち鮭のこと、「背腸」はみなわたのこと。

○鮭を出す所
 産地、松前に次いで越後。漁期は7月27日より12月の寒明けまで。
魚沼の初サケを長岡藩主に貢納するとサケ1匹当たり米7俵の価値。

○鮭の始終 ―サケの一生―
 魚野川が千曲川に注ぐ川口町の千曲川の川底は小石と砂地。遡上してきたオスとメスが尾で砂を掘って穴を掘り、卵を産む。オスが白子をかけ砂をかけて埋める。産み終わるまでの困苦のため身がやつれたサケは川の深淵で栄養を取り再び元気になって遡上。
 サケの奇話を紹介 川に産んだ卵は川の氾濫で流路が変わって河原になっても生き続け再び流路になると孵化すると信じられている。魚野川近くの人が井戸を掘ったところ鰤(はらご)の腥を見つけたという。
 人口孵化の話 牧之常におもえらく… 、卵と白子を混えて小砂利を入れた甕を他の清流の河川に移し3年間漁を禁止しているとサケが捕れるかも知れない、と。

○打切り並びにつづ  ○掻網

○鮭の縮図、鮭やすで突く図

○漁夫の溺死
 妻と子ども二人と老母で暮らす男秋の雪降る日、絶壁に縋って松明を持ち絶壁を下って仕掛けた棚に入っていた大量の鮭を引きあげていた時、足をすべらせて転落する実話

○総滝
 割野付近の千曲川(千隈川、信濃川とも)の流れをいう。
 長野市丹波島(犀川と千曲川の合流地点)から新潟市の河口までで最大の急流。川幅せまい。流れの中に巨石ごろごろ(渇水期には川底の石が現れる)。遡上するサケがここに滞留する。そこを狙って漁師は仮橋をかけ、掻き網で取ろうとする。腰に綱をつけて命ツナをつけ川中で漁をする。危険な作業。

<参考―千曲川の総滝>
割野村 津南町の中心。町役場の所在地―中津川と千曲川の合流点。秋山郷の入口。
信濃川河岸段丘にある。JR津南駅は大割野から1・5㎞離れた千曲川左岸にある。
津南町付近の千曲川、急流で付近一帯は水力発電の適地。
信濃川河口から180km、津南の上流20kmの地点に西大滝ダム(標高295m 飯山市の北端、昭和14年完成、堰堤の高さ14m)がある。千曲川をせき止め、約20km下流の津南町鹿渡(標高168m)まで運び、東電信濃川発電所(有効落差109,97m)で最大出力17,7万kwを発電している。

○鮭漁の類術   ○鮭の洲走り

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