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エッセイ・コラム

桂離宮を巡る (5)隠す文化

藤原 道夫

 桂離宮には、美しい景観をいきなり見せないような仕掛けが随所に施されている。その例を二つ挙げよう。

 貴人が輿にのってここを訪れる際には、表門から入って御幸門をぬけ、御幸道をすすんで中門から古書院の中に入り御輿寄まで来てようやく輿からおりる。この間小窓から外の景色はまず見えない。
 御幸門から歩いた場合はどうだろう。門の脇の大きな四角い切り石の上で輿からおり、門をくぐって直角に曲がり、御幸道を50mほどすすむ。道は黒っぽい小さな石を敷きつめ、むくりをつけて固められている。両脇は背丈ほどの生垣になっているので、庭の様子はよくわからない。左手に松琴亭の茅葺き屋根が望めるのみ。道の先に見える土橋が心なし左に捻じれている。太鼓橋型の土橋の上に立った時に池の風景を見渡せるが、すぐにかくれる。突き当りは黒文字の枝を縦にそろえ、横を竹でおさえた垣根。左手芝生の先に一本の松(衝立松とよばれる)が植えられていて、庭園の風景をさえぎっている。ジグザグ状にすすみ短い橋をわたると中門、手前から門の枠内にいくつかの飛び石や苔のみどりが見え、奥に背の高い石の手水鉢が望める。門を入ると田形の敷石のさきに「真の飛石」が左ななめ方向にまっすぐのびているのが分かる。突きあたりは巾ひろい石段、左手は苔と草のはえた斜面で織部灯篭が据えられている。赤茶っぽい大阪土壁の間の巾1mほどの戸口から庭の風景が額縁のなかの絵のように望める。右手は長い縁側。中門にいたる道行と中門のなかの閉ざされた空間に、桂離宮を造った人たちの美意識が凝縮されているように思う。建物のなかに入る時は石段をのぼり、ひろい(6人分の沓をそろえておける巾)むくりのある沓脱石(くつぬぎいし)から古書院の縁側にあがる。障子をあけ放った書院からようやく庭園を見渡すことができる。

 次に松琴亭で茶会が催される時のことを想像してみよう。御幸道から紅葉の馬場へとまがってすぐに生垣の切れ目をさらに左にまがり、飛び石伝いにすすむと外腰掛に着く。ここでしばらく待つことになる。5人が掛けられる外腰掛は茅葺き寄棟造りで、前方は橡(かば)や樫などの皮付きの細い丸太4本で支えられている。目の前は築山になっていて背後を隠しており、手前に蘇鉄が何本か植えられている。腰掛の背面は下半分が大阪土壁で上は吹き抜け。左手と背後は生垣でまわりに高い常緑樹が植えられており、座っていると森のなかにいるよう。すぐ前の「行の延段」とさりげなくおかれている飛石、蘇鉄の木々、右手のある二重枡の手水鉢などが目を楽しませてくれる。
 池をへだてた松琴亭からドラの音がかすかに響いてくると、待っている人たちは立ちあがり、「行の延段」をすすんで茶室へと向かう。延段がおわる手前で飛び石にそって左にまがるや忽然と視界がひらけ、茶室のある松琴亭の茅葺き寄棟造りの建物が目に飛びこんでくる。右手に黒い石をしきつめた州浜がひろがり、奥に天橋立が池にのび、何本かの松の木が見える。人々はこの風景に目を見張ったであろう。
 隠しておいてから後でしっかり見せる、それもおもてなしだった。

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