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エッセイ・コラム

コモンセンス

松浦 俊博

 アガサ・クリスティが描いたジェーン・マープルは、セントメリーミード村の人たちの行動をよく分析して、その知識に基づく推理により事件を解決する。マープルは、村の人々の習慣やコモンセンスに敬意を払う。英国では四十年あまり前に私が滞在した頃は、ビレッジのまとまりが強く、何かにつけて「うちのビレッジでは……」と話す人が多かった。教会活動、地域のフットボール試合、お茶会やパブでの懇親などビレッジ内の日常交流が活発で、その中で培われた共通の不文律である「コモンセンス」が人々の生活様式をバランスよく律していた。英国のような歴史の古い国ではこのような不文律が根付いている。中世の混乱期を経験していない未熟な米国などでは、このようなものは見受けられない。

 日本にも、長い歴史に基づく村社会の不文律があると思う。私も何かにつけて「人に迷惑をかけるな」と刷り込まれてきた気がする。また、人に助けを求めるのは、努力をした上でどうしても他力が必要になる場合に限られる。この共通認識がないと、周りの迷惑を考えずに勝手気ままに行動してしまう人が溢れるだろう。昔、地域間の人の移動が制限された頃は、こういう人は地域では「村八分」扱いで仲間はずれにされた。日本の村社会で培われた「人に迷惑をかけるな」は、大事なコモンセンスであったと思う。  この共通認識のおかげで、今回の感染症対策として強制力のない自粛要請を受けても社会が協調を取って終息方向に動く。「もし自分が感染したらどれほど周りに迷惑をかけるか」と考え、自ら自粛行動をとることになる。一方で、この認識が感染者に対するいじめを誘発するのかもしれない。そこで「弱いものいじめをするな」などの別のコモンセンスを思い起こす必要がある。各自が複数の共通認識を持ち、それらのバランスを取ることにより、まっとうな行動ができるようになる。

 村社会のコモンセンスは日本人に浸透した貴重な不文律であり、これをなくしたら日本が誇る調和のとれた動きはなくなる。ぜひ伝承するとともに、時代にあわせた変化を取り入れていきたいものだ。

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