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エッセイ・コラム

コロナ禍とバンコクの孫娘たち

浜田 道雄

 コロナ禍はタイのバンコクでも猛威を振るっている。ショッピング・センターやデパートは閉鎖だし、飲食店も営業はテイク・アウトだけ。しかも政府は強権だから、日本と違って住民に対しては不要不急の外出は「自粛」ではなく、「禁止」だ。とくに夜間に出歩けば「逮捕」される。

 こんな徹底したコロナ規制は、バンコクに住む孫娘たちにも大きな影響を及ぼしている。ようやく昨年10月から通いはじめた幼稚園もいまは休園で、散歩などの外出もままならない。走り回ったり、泳いだりするのが大好きな彼女たちだが、いまはほとんど家に閉じこもることを余儀なくされている。

 しかし幸いなことに、家が少々広いからリビングを補助車付きの自転車を思いっきり乗り回せる。またコンドミニアムの一階には共用運動室があって、自転車遊びもできるし、走り回ることができる。おかげでどうやら運動不足にはならないで済んでいる。
 だが、実はもっと幸いなことは、彼女たちが「双子」だということだ。家にとじこめられてはいても、生まれながらにいい遊び友達がそばにいることになる。幼稚園の友達との遊びの記憶はいまではほとんど薄れてしまっているようだが、姉妹二人で新しい遊びを考え、遊ぶ。その種は尽きない。

 二人の性格は同じではない。一人遊びをするときは、マリはもっぱら芸術的才能を発揮しており、家中の壁を彼女の壁画で満たす大計画を実行中。親たちも諦めている。
 ランはカトウーンでの語学学習に夢中だ。YouTubeを使って好きなカトウーンを選び出し、熱心に見ている。いまのお気に入りはロシアの漫画。マーシャと少しとぼけた熊が主人公のやつだ。その結果、ときどき彼女の口から訳のわからない言葉が飛び出すが、調べてみると大概はロシア語だ。おかげで、彼女の世話をするメイドは困っている。

 いま彼女たちがいる言語環境は結構複雑だ。幼稚園では先生が英語を話していたから、二人の間の会話は英語だし、両親との話も英語しか使わない。タイ語は祖母とメイドと話すときにしか使わない。それで気に入らないことをいわれたり、叱られたりするときは、祖母にもメイドにもわからない英語を使う。

 日本語はまだまったく知らない。タイ人である母親は日本語環境に慣れさせようと、日本人の子供が通い日本語を使う幼稚園にも週に1回通わせているが、二人とも日本語にはまったく興味を示さず、そこでは絵を描くことしかしてこない。
 息子はとくに日本語を教えようとはしていない。彼女たちが成長していくなかで必要とあれば学べばいいという考えなのだ。わたしもそれでいいと思っている。

 だがそうはいっても、これはわたしにとっては恐るべき言語環境かもしれない。これでは、いつの日かわたしが二人の孫娘と意思疎通ができなくなる日が来るのではないか。そんな心配があるからだ。 英語もタイ語も使わなくなって久しいいま、わたしの語学力はどんどん低下しているに違いないのだから。

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