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エッセイ・コラム

酒肴の庭

浜田 道雄

 漢詩は小学校のころ父から手ほどきをうけたこともあっていまでも好きで、暇を見つけては詩集を開いて楽しむ。いくつかの詩人のものをパラパラと開いて、そのときの気分にあった詩、その季節にふさわしいと思ったものを拾い出すのだ。それはまた自分の漢詩になじんだ日々を思い返す楽しい作業でもある。
 以下は、現在のHPが立ち上がる前、2007年7月の「書こう会」に提出した(書き上げたのは多分5月の初めだったろう)ものに、今回多少手を入れた作品である。大部分のところは古い作品のままでの再掲だが、お許し願いたい。そのころ、わたしは相模の大山が見える丹沢山麓に住んでいた。

 コロナ騒ぎで外出自粛が求められ、家に引きこもっていることが多いから、季節の変化を感じることが難しくなっている。しかし、いまは爽やかな初夏。わが家の窓からも美しい新緑を誇る木々の姿が遠望できる。
 こんな季節は、陶潜(字名は淵明)の『読山海経十三首 その一』の冒頭の詩句が一番ぴったりとくるときではなかろうか。

 孟夏草木長 繞屋樹扶疏 (孟夏草木長じ 屋を繞りて樹は扶疏たり)
 衆鳥欣有託 吾亦愛吾廬 (衆鳥は託する有るを欣び 吾も亦吾が廬を愛す)
 既耕亦巳種 時還読我書 (既に耕し亦已に植え 時に還た我が書を読む)
 ・・・
 歓言酌春酒 摘我園中蔬 (歓言して春酒を酌み 我が園中の蔬を摘む)

 丹沢の麓に家を建て田舎暮らしをはじめたとき、広くもない敷地に小さな庭と畑をつくることにした。庭師の好むような手入れのいい庭ではなく、里山のような自然な庭だ。
 ガレージを掘った残土で小さな築山をつくり、カエデ、サンショウ、ツバキなどを植え、周りは里山の草花が自然に生えるのを待った。小さな畑では春菊、ヤマミツバなどの蔬菜やシソ、香菜、バジルといったハーブを育て、夏にはゴーヤを軒まで這わせた。庭の隅はミョウガとフキに任せた。

 それから数年、どうやら気に入った庭ができあがった。だがそれは眺める庭ではなく、酒の肴のための庭となった。春にはヤマミツバが若芽をふいて汁物の実となり、軽く湯がけばその香りとほろ苦さが酒をすすめる。フキは春先にわずかではあるがフキノトウをプレゼントし、初夏にはその茎がおひたしにも煮物にもなって膳を賑わす。サンショウは春に香り高い若葉で、シソは初夏に大きな青葉で料理に彩りを添える。

  もうしばらくすると、ハナミョウガが採れて、ソバの薬味や酒のつまみになるし、ゴーヤも実をつけてくれよう。だが、いまはまだハナミョウガには早く、ヤマミツバはすでに花となって、わが庭には酒の膳を賑わすものは何もない。
 そんな夏の夕暮れ、窓からの涼風だけを肴に酒を飲みはじめると、『読山海経』の続きが浮かんできた。

 微雨従東来 好風與之倶 (微かなる雨の東より来たり 好き風は之と倶にす)
 汎覧周王伝 流観山海図 (周王の伝を汎覧し 山海の図を流観す)

 やっぱり、庭で酒の肴を探してみようか。いや、いまどきの庭はヤブ蚊の巣だ。出ていったら、奴らの餌食になるだけだろう。家のなかにいて、陶潜に倣って酒を舐めながら本でも読もう。写真入りの料理本がいい。肴がなくても、その写真を眺めるだけで酒を楽しめるから。

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