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エッセイ・コラム

コロナとサナトリウム

首藤 静夫

 実家を継いでいる弟から久しぶりの電話。
「兄貴、大変だ。国立病院でコロナの院内感染だ」
「そうらしいな。市内にある病院だろう」
「なに言ってるんだい。二豊荘じゃないか、名前が変わっただろう」
「えっ、国立とテレビが言ってたけど二豊荘のことか?」

 九州の実家の隣は国立総合病院である。遠浅の海に沿って長く続く松林、それに接する広い敷地内に5階建ての白亜の病院が輝く。
 寒漁村だった村に立派な国立病院があるのには経緯がある。僕らが子供の頃までこの病院は二豊荘と呼ばれる国立結核療養所だった。瀬戸内海の入口に面した白砂青松のこの地に戦前からあった療養所だ。これが旧国立大分病院と一緒になって総合病院となった。
 弟は孫を時々預かっては病院前の公園で遊ばせているが、コロナの件でそれどころではない、と珍しく緊張していた。

 当時この病院(療養所)は広々とした敷地に平屋建ての各病棟が並び、敷地の隅っこは子供の遊び場でもあった。テレビが各家庭にない頃、病院の広い娯楽室は療養者に混じって子供たちがそっと入り込み、一緒に見ていた。力道山が出る夜などは日中からその話で持ちきりだった。
 ある時悪童の一人がポケットにカラスヘビ(無毒)を隠し入れてテレビの間に持ち込んだ。CMの時間にそれを取り出して弄び、見つかって大騒ぎとなった。『坊ちゃん』のイナゴ騒動どころではなかった。

 大きくなってサナトリウムという言葉を覚えた。何となく上品な言葉ではないか。小説『風立ちぬ』のヒロイン、節子や竹久夢二の絵に出てくる女性の、色白のたおやかなイメージは文芸によく似合う。事実、気候の良い時には砂浜や松林を逍遙する「ヒロイン」たちが見られた。
 この病院が新型コロナで騒がれているという。結核菌とコロナウイルスには何の関係もないだろうが、肺を冒す感染症という共通項がある。単なる思い出にしたかった病院だが、今新しい敵と真剣に向かい合っている。

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