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エッセイ・コラム

バチカンのミサ

松浦 俊博

 10年ほど前から正月を妻とローマで過ごすようになり、自然にバチカン詣でが始まった。最初の頃は正月の昼12時から広場に集まった人たちに教皇が行う新年のスピーチを聞くだけだった。そのうち、寒い広場で立っているより教会の中の落ち着いた雰囲気でミサを聞こうということになった。この数年は、年末の夕方5時からと正月の10時からのミサに参加している。参加の申し込みをすれば無料で招待状を送ってくれるのでありがたい。
 バチカンの中心である聖ピエトロ大聖堂は、皇帝ネロにローマ大火の罪をきせられて殉教したペテロが埋葬されたところにコンスタンティヌス帝により建てられた。現在の聖堂は、1546年に教皇パウロ3世がミケランジェロに命じて老朽化した聖堂を建て替えさせたものだ。ミケランジェロ設計のドームの真下が教皇の祭壇になっており、その後ろの階段を降りた地下礼拝堂にペテロの墓がある。
 正面ファサードの後方にある5つのドアの中央から入ると、長さ91mの身廊(中央通路)が教皇の祭壇に通じている。幅30m近い身廊の両脇に列柱を挟んで並行して伸びる広い側廊に沿って、彫刻や絵画で飾られたチャペル、祭壇、記念碑が並ぶ。大聖堂内部はベルニーニの美術館という感じで彼とその弟子や仲間による彫刻で溢れている。
 ミサでは、身廊の中央部に聖職者用の通路を設け、その両脇を柵で仕切って外側にミサの一般参加者席が並べられる。入り口でチケットと引き換えにミサの言葉と讃美歌の書かれた上質の小冊子をいただく。自由席なのだが通路際から埋まっていく。教皇フランチェスコが通路を通って入場・退場するので、その写真を近くで撮りたいということだ。祭壇は離れているので、礼拝中の教皇を近くで見ることは最初からあきらめているのだ。
 ミサはイタリア語で行われるが、正月のミサはグローバルで「Universal Prayer」の項目を設けて中国語ほかいくつかの外国語での祈りを行う。小冊子も、年末用はラテン語とイタリア語の併記、正月用はイタリア語と英語の併記になっている。礼拝や讃美歌の言葉は全くわからないが、小冊子の文字を目で追っていけるので雰囲気は伝わってくる。「Santa Maria Madre di Dio, (聖マリアは神の母)」など、何度も同じ言葉を聞いていると耳に残る。フランチェスコの声は気持ちを落ち着かせる不思議な力があり心地よい。祈りの過程で立ったり座ったりするが、それは周りの人に合わせればいい。讃美歌は良い雰囲気で好きだが、発音もわからず音痴なので専ら聞くだけにしている。それでも十分満たされた気分に浸れる。
 年末のミサは夕方7時ころ終わり、外の広場に出るとあたりはもう暗い。広場の噴水の近くにプレセピオが飾られており、そのあたりでフランチェスコが歩きながら柵越しに人々に祝福の言葉をかけている。小さい子はみな言葉を掛けられる。参加者はこれを期待して、ミサが終わるとそそくさと外に出て待ち構えている。教皇は忙しい人だとつくづく思いながら帰途に就く。人が溢れているから、確実に帰れる地下鉄を使うことにして、少し離れたオッタビア駅を目指して歩く。今年は無理かもしれないが、コロナ感染が収まったら、またバチカンのミサに参加したいと思っている。

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