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エッセイ・コラム

新型コロナウイルス、禍を転じて福と為すかも

池田 隆

 A.D.2020年初頭より中国の武漢市で発生した新型コロナウイルスはわずか二ヶ月足らずのうちに、中国各地はおろかわが国をはじめ全世界へ拡散し、その対策が各国の喫緊の課題となっている。
 中国をはじめ欧米諸国では伝染予防のために人の移動や外出が厳しく制限、忌避され、人通りも疎らな大都市の光景をしきりとテレビは放映する。世界各地の工場は生産を縮小停止し、観光業、運輸業をはじめ世界経済全体にその影響が強く及んでいる。
 歴史的に眺めると、人類はペスト、はしか、スペイン風邪、SARSなど、繰り返し病原菌やウイルスの脅威にさらされ、その度に甚大な被害を受けてきた。一方その対策を通じ、細菌学や免疫学などの医学を発展させ、都市の下水道などの公的な衛生設備も整えてきた。
 現在はITやAIの急速な進歩で、インターネットや人工知能といったソフトウェア技術と電子機器や作業用ロボットといったハードウェア技術が整っている。今回中国政府はそれらの技術を駆使し、自宅勤務、サテライトキャノン、テレビ会議など、人と人の接触を極力減らすよう厳しく国民や企業などの組織に指令しているとのこと。程度の差はあれ、わが国を含め他の諸国も同様な方策を取り始めている。
 短期的に見ると新型コロナウイルスによる世界経済の大きなダメージは避け難いが、長期的には上記のような対策の経験が社会活動の合理化に有効に働くことだろう。
 第二次大戦後に敗戦国だった日本が戦勝国よりも経済を一早く発展させたのは、戦災で破壊された工場に最新鋭の合理化設備を導入したことや、欧米に比べ労賃の安かったことが主な要因であった。だが、それで得た強い国際競争力をかなり長い期間持続できたのは、わが国独自のムダ排、改善提案、ジャストインなど、製造現場におけるボトムアップ活動が直接人件費や材料費を押し下げていたからである。
 半面、わが国の官公庁や金融業、マスコミ、流通業などの部門の合理化努力は鈍く、国際経済競争力の足を引っ張ってきた。製造業においても欧米の企業に比べ、ブルーカラー(直接部門)の能率は高いが、ホワイトカラー(間接部門)の能率は劣り、その経費が製造コストの半分以上を占め、競争力を弱体化させていた。
 営業員と顧客といった企業間の商習慣において社会常識を超えた過剰な接待がバブル期前後には目立ち、交際費が膨れ上がっていた。社内の人間同士で意思疎通を図ると称して接待し合うこともあった。また会議の削減、出張人数の見直し、残業時間の制限など、各所で声高々に叫ばれた。しかし発言することもない多数の会議出席者や出張先で実質的な説明は同伴の部下に任せるような慣習が改まらず、実効は上がらなかった。組織体本来の役割である製品やサービスのアウトプットに結びつかない組織内部用の事務作業(報告書や記録の作成)の比率も今なお年々増加しているという。
 このようなホワイトカラーと呼ばれる間接業務に携わったエリ-ト・サラリーマンたちの非能率な慣習が日本経済の長期停滞の大きな要因の一つになったのは間違いない。
 私の非常に限られた現役時代の海外経験に過ぎないが、このような間接的な業務の非合理性は日本以上に中国社会では激しかった。そのために急成長してきた中国経済も戦後の日本と同じように、やがて頭打ちになるだろうと予想していた。
 だが、中国が今回の対策経験を活かし、それを間接業務合理化の目的に活用すると、新型コロナウイルス鎮静化後も世界の工場として、その地位をより長く維持し続けることになるだろう。彼らは禍を転じて福と為すかも知れない。われわれも今回の問題が治まった後もオリンピックなどに浮き足たつことなく、脚下照顧、冷静に苦い経験を活用するしたたかさが求められる。

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