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エッセイ・コラム

ローカル線普通列車の旅 ⑨ ~東海道線・旅の終わり~

斉藤 征雄

 富士駅に着いたのは、16:30だった。ここからは東海道線を東京に向かって戻るだけである。熱海で乗り換えてボックス席に座ったが、東海道線の車内ではさすがに、もっと飲もうとは誰も言い出さなかった。三日間の旅は終わりに近づいた。

 目的も定めず、目標も作らず、ただ単にちびちび飲みながら列車に乗って行くだけ、というのは思った以上に楽しいものだった。しかしそれは、酒を飲むこと自体が目的になっているではないかとのご指摘があるやもしれない。そうかも知れぬがそれはそれで結構。言い訳はしない。おいしい酒とおいしい田舎料理が旅を盛り上げたことは間違いないのだから。そしてそれはメンバーの顔触れに依ったところも大きい。
 今度行くとしたらどこが良いだろうかという話題になったが、あまり計画的にならない方が良いと思う。思いついたときに行き当たりばったりで、行ける所へ行くのがこの旅らしい気がする。第一、いつまで元気で旅ができるかもわからない身だ。
 芭蕉は、西行などの旅に死んだ古人を思い、死を覚悟して旅に臨んだと言われるが、われわれ凡人はそうはいかない。やはり帰れる家があるから旅は楽しいのであり、旅が終われば元気で家路につかなければならないのである。旅はいっときの非日常を楽しむものである。

 今回の旅のヒント、内田百閒の『阿房列車』は、OBペンクラブ「何でも読もう会」の7月のテキストだった。漱石の弟子だった百閒は酒好きだった。『阿房列車』は、弟子と用事もないのに鉄道に乗って、車中や行き先で酒を飲んだ様子を高尚なユーモアを交えて綴ったエッセイで、本はよく売れたようである。文章は洒脱で漱石に似ているのは、漱石を師と仰いで尊敬していたからだろう。屈託がないというか、意味のないともいえる『阿房列車』のような作品を書いた百閒は、文豪ではなかったがきっといい人だったに違いない。
 そんなことを考えていたら、電車は横浜に着いた。青春18きっぷは全員共通の券なので全員が同じ駅で降りなければならない。最大公約数をとって、品川駅で降りることにした。M女史とN氏とは品川で別れた。

 時刻は夕方のラッシュにかかっていた。S氏と二人で再度入場して山手線に乗り、S氏とは渋谷で別れた。満員電車に乗らなくなってすでに十年以上になるので、ラッシュ時に新宿経由私鉄の最寄り駅まで帰るのは苦労だったが、楽しく贅沢な旅を実践した満足感が疲れを消してくれた。最寄り駅の駅前でラーメンを食って家路についた。

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