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エッセイ・コラム

浜辺の友

大平 忠

 浜辺の友Dさんは、6月に90才、卒寿を迎えられた。お元気である。耳もよく聴こえ、何より記憶力が全く衰えていない。デパートや本屋を回って1万歩近く歩いても平気である。博多駅前の紀伊国屋で翌月の文庫本発行予定のチラシを毎月貰ってきては、「葉室麟のものが出ますよ」とか「高田郁はまだですね」とか教えてくれる。

 先日、こんなことがあった。「面白い本を見つけました。『横浜1963』、著者は伊東潤です。彼が初めて書いたスリラーものです。横浜のいろいろな街の様子が書かれていて、これがなんとも懐かしくて・・・」。私は驚いて、「僕も、伊東潤の本を今読んでいるところですよ。『武士の碑』。西郷隆盛と村田新八の最後について書いた本です」
 偶然、二人は同じ作者の本を読んでいたのだ。

 いつも明るくニコニコされているDさんだが、6、7月はご機嫌のアップダウンが大きかった。愛媛生まれ長崎育ちというのに大の広島カープファンなのだ。市民が作り上げた球団というその心意気を買って球団創立当初からのファンなのである。6月はセパリーグ交流戦で最下位となってしまい、ガックリされて、浮かぬ顔が多かった。私は、ソフトバンク・ホークスを応援しているので、「大平さんは、ホークスがまた勝っていいですね」とときどき言われた。しかし、そのホークスが5連敗をし、広島が巨人に3連勝したときは、ニコニコしながら、「大平さん、すみませんね」と会うや言われた。

 この前、卒寿のお祝いにと、日本三大銘菓とDさんが太鼓判を押したその一つ、松山の薄墨羊羹を取り寄せて進呈した。Dさんは、喜ばれたはいいが、広島カープが優勝したら食べるというので慌てた。優勝しなかったら大変である。「優勝の時は、また差しあげますので、どうかすぐ召し上がってください」とお願いした。

 Dさんは、残念なことにお子さんがおられない。そのせいかどうか、行きつけの店の店員さんたちが、子供か孫みたいに思えてくるそうである。そして、いつの間にか仲良くなる。先日は、5年間通ったスターバックスの女の子たちから、もう転勤した女性も含めて4人で寄せ書きした「卒寿おめでとう」の色紙を贈られたとか。Dさんはジンときたという。また、博多駅ビルの8階の店に健康食品を買いに行っているうちに、売り場の女性3人と親しくなったそうだ。3人は長女、次女、三女と役割が決まって、親子ごっこの会話がDさんとの間で生まれたそうだ。この間は、その姉妹の長女が仕事を辞めるというのでとうとう涙のお別れになりましたとはDさんの話である。
 しんみりとしたDさんの話に、ただ私は感じ入るばかりだった。

 本が好きで本自体を大事にされるDさんなので、Dさんから借りた本は、必ず本屋でつけてくれるカバーが付いている。ところが、そのカバーは、必ず昔の本屋がやってくれたように、包装紙の4隅を折って本の表紙と包装紙の間に折り込んであるのだ。これを折るのはちょっと難しく、しかも手早く折り込むとなると熟練を要する。最近の本屋では、全く見かけなくなった。若い人はおそらく見たこともないのでは。そこで、Dさんに訳を聞くと、「私が家へ帰って自分でするのです。このカバーの仕方に愛着があるので」とのこと。さっそく私も教えてもらい、何度かやってみたけれど不器用な私には到底無理とギブアップした。
 Dさんは、本屋から表彰されてもいい人である。

 いよいよ梅雨明け。猛烈に暑い日々がやってきた。出歩くこと要注意と、二人とも医者から釘を刺されている。Dさんと会う機会も減らさざるをえないだろう。ちょっと寂しい夏になりそうだ。

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