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エッセイ・コラム

椎の葉に盛る飯-万葉の歌から

藤原 道夫

 ここ二年間、月に一度三鷹駅前のビルで武蔵野大学が開催している講座「恋する万葉集-万葉人の生活」に通っている。講師は同大学や国学院大学の講師を勤める伊藤高雄氏。民俗学の視点が入った話しは大変面白い。このところ挽歌が取りあげられている。次の冒頭の歌が特に興味深かった。

有間皇子、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首
岩代の浜松が枝を引き結び ま幸くあらばまたかへりみん
家にあれば笥に盛る飯を 草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

 二首目は高校でも習った和歌で、「家に居れば器に盛るご飯を、今は旅に出ているので椎の葉に盛って食べるのだ」と説明されたように記憶している。

 講座でこの歌の背景と意味するところを学んだ。有間皇子(孝徳天皇の皇子)は当時自らの意思にかかわらず、皇位継承の渦中に置かれていた。いきさつが定かではないが、捕らえられて熊野方面に護送された。途中岩代(現和歌山県日高郡南部町)にて休息した折、我が身の行く末を案じて詠んだ歌がこの二首。前書きと一首目にある「松が枝を結ぶ」とは、道の神が降り立った松の木に自らの魂を込め、小枝を結んで道中の無事を祈る呪術だった。ちなみに皇子は岩代の近くで暗殺された。
 二首目も当然神事に関連している。飯は神饌で、家に居る時は笥とよばれるお供え用の器に盛るが、今は旅に出ているので椎の葉に盛って神に手向ける、そんな場面が詠まれている。実際に椎の葉に飯を盛ってお供えとする風習が奈良県内に残っているとか。どのように行うのか、興味深いところ。
 高校の先生はこのようなことを知らなかったのか、あるいは当時この歌の解釈がここまで進んでいなかったのだろうか。おそまつな解釈を習ったものだ。

 新しい年号が「令和」に決まってから『万葉集』が売れているようだ。それはよいとして、歌を読むにあたって伊藤講師の考えが参考になる。「万葉の時代に生きた人々の生活(慣習、神事など)をよく理解して歌人の思いに迫ってゆかないと、歌の真意を汲みとるのが難しい」「……椎の葉に盛る」の歌がまさにそのよい例だ。ただし万葉の歌が詠まれた時代については記録が乏しいので、先人の研究成果に基づきながらなおも推理を要する面が出てくる。このあたりに万葉の歌を味わう楽しみがあり、また奥深さもあるように思う。

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