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エッセイ・コラム

鶴見線の風景

松浦 俊博

 47年前、国鉄鶴見駅で京浜東北線の電車を降り、ホームの階段を上ったところにある鶴見線に乗り換えて、6駅目の終点である海芝浦に行った。入社してから配属先への初出社であった。生まれて初めて乗る鶴見線はこげ茶色の短い二両編成の暗い電車で、白熱電球の天井灯や木製の床が印象に残った。
 鶴見線は海岸の工場地帯に延びる鉄道で、浅野駅から先は行き先が海芝浦、大川、扇町の3方面に分かれる。鶴見駅のホームの端から見える3組の転轍機が複雑に動いて、3方面の上りと下りの電車をうまく捌いて誘導する。浅野駅の名前は、鶴見線が国有化される前の鶴見臨港鉄道設立者の浅野総一郎に因んでいる。乗客のほとんどが工場労働者なので、例えば鶴見発の海芝浦行きは、朝の通勤時間帯では1時間に5本発車するが、昼間は2時間に1本になる。まさに陸の孤島だ。この路線の風景も次第に変わってきた。

 鶴見駅付近は、30年ほど前までは総じて飲んだくれの街という印象だった。特に京急側は鶴見銀座を擁する飲み屋街でストリップ小屋が二軒もあった。同期の豪傑は舞台に上がったらしい。焼き栗売りのお兄さんは組関係者だし、夜の街にはその方面の人も何人もいた。そういうことは初めのうちは気がつかないが、だんだんわかってくる。そんな街で腰を据えて飲み始めると、不思議に終電が気にならなくなったものだ。最近は居酒屋がビルに押し込められて、街がきれいになり面白くなくなった。
 ところで、鶴見には「うちなんちゅう」が多く住む地域があるせいか、沖縄料理店がいくつもある。なかでも「ななまかい」という店は日本一おいしい店だろう。店の名前は「おかわりする」という意味らしい。家庭料理のひと手間を加えているそうで、川崎や新橋などの沖縄料理店では味わえない絶品だ。泡盛の種類も多くて楽しめるし、マスターが三線にのせて歌い、客がそれに合わせて踊ることもある。いつまで耐えられるかわからないが、鶴見の魅力を維持してほしい。
 鶴見駅の隣の国道駅は、鶴見線が第一京浜国道を横切る場所にある高架駅だ。会社の寮が近いのでこの駅でも良く下車した。駅正面右の外壁には戦時中の機銃掃射の痕が残る。ガード下の焼鳥屋などは昭和初期の風情が漂うが、暗すぎて入る気がしない。
 さらに隣の鶴見小野駅から南に延びる埋立て地のバス道は、以前は雑草生い茂る荒地だった。浮浪者が寝ていたこともあった。理研や横浜市大が新設されたのを機に、道路の両側はどんぐりの並木道となり、花もいっぱい植えられて見違えるようにきれいになった。
 終点の海芝浦駅は海に面しており、首都高速湾岸線の鶴見つばさ橋を正面から望む素晴らしい景観の駅である。通勤時にはこの海を見て潮の香りに包まれ、ほっとしていた。今でも海を見ないとどこか落ち着かない。ボラが思いっきり跳ねるしカモメがゆったりと飛ぶ。昔は岸壁でのボラ釣りも禁止されていなかった。春には船着き場の小さな湾に旅鳥がびっしりと浮かぶ。その後ろに富士山がくっきり見えることもある。駅の隣に一般公開された小さな「海芝公園」が出来てきれいになった。

 鶴見線沿線の街がきれいになるのは嬉しいが、どこかに泥臭さがないと鶴見らしくない。是非「らしさ」を残してほしい。

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