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エッセイ・コラム

後期高齢者の風景:

西川武彦

 ペンクラブ活動、歌の練習、テニス、小旅行等々、土日を含めて「勤務」に励む後期高齢者だから、ぽっかり一日暇になるときが休日になる。4月半ばの先週は、水曜日がそれに当った。
 早朝5時半に目が覚める。明るみを増すベッドルームでしばし瞑想したのち、目覚ましを合図に6時に起床。髭剃り・洗顔などを済ませると、リビングの黒革のソファに深く沈み、英語のCNNニュースを耳に流して、朝刊を舐めるように読む。会話はない。
 NHKの朝ドラで、再登場した「おしん」と、それに続く「なつぞら」を追いながら、老妻があつらえてくれたアメリカン・ブレックファストを頬張る。終わると、皿を洗って、下の用を足したあと、パソコンに向かう。世界のニュースをさらい、メールを処理すれば、朝の定例作業は完了だ。おしゃべりな老妻は、笑いながらなにか喋っているが、会話はない。

 着替えて、20分の散歩。最寄りの郵便局に立ち寄り、葉書一枚投函、振込み一件処理。5分歩き、某銀行の支店で今週の飲み代を引き出す。郵便局・銀行とも入ってくる客毎に、「いらっしゃいませ」と大きな声を張り上げる。サービスのつもりだろうが、いつもながらなぜか納得いかない。会話はない。

 この時間、現役の皆さんの出勤済みなのだろうか、路地に若者や中年はほとんど見かけない。主婦は家事か、あるいはバイトで出勤済み?ぶらついているのは高齢者が圧倒的に多い。それも後期組だ。杖をついてトボトボ・ヨロヨロ…、背中が曲がり歩幅は狭い。気持がせくのか、頭と顔だけが足より前に突き出ている。そういう自分も歩幅はなぜか狭く、ちょこちょこ歩いている。似たようなものだ。思わず姿勢を正す。会話はない。

 そのあとの楽しみは、昼飯時間のTVドラマ、石坂浩二主演の「やすらぎの郷」の続版だ。
 自分と同じような年代の男女の施設内の風景だ。なんとなくやすらぎを感じる。その歌を同じ年齢層の男声合唱団でも練習しているのが可笑しい。
 30分ほどの読書と軽い昼寝が終わると、お三時を頬張りながら、TVでショーンコネリー主演の007を鑑賞する。六十代と思しき白い頭と髭のボンド。お相手は勿論ボンドガールだが…。舞台は、その昔訪れたことのあるマレーシアはクアラルンプールの世界最高ビル。
 お色気もスリルもある。シリーズ物になりそうだから、楽しみが増えた。

 それが終わってシャワーを浴び、夕刊を読めば、17時には我が家のバーがきっちり開店する。一本千円余りのボルドーはCabernet Sauvignon.の赤をポンと抜いでグラスにそそぐ。
 毎日ボトルの半分と決めているが、今日は007気分で、真ん中の線が大分下がった。翌日分はその分少なくなるのだが、哀しい性だ。
 6時には夕飯が始まった。なにせ平均寿命を超えた今、家に居るときはベッドに入るのが8時前なのだ。老妻も心得ていて、早目の晩飯となる。ソファに沈んで、お気に入りのお盆に夕食のフルセットを載せ、閉じた両膝の上に置く。三分の二が終わった段階で、007に興奮して疲れたのか、箸を持ったまま居眠り。無様だ。

 老妻に促されてベッドに移り、うとうとしながら考えた。昨日は自家用車を代理店で夏タイヤに替えた。走行距離20万キロ直前だ。暮れには一年毎に短縮された車検が待っている。走行距離20万㎞で擦り傷だらけの愛車は、ご主人同様、疲れきっている。更新はやめて、ダウングレードした普通車の見積もりを出してもらった。…とはいえ、あと何年乗れるだろうか。老々介護も終わり、子供たちは疾うに巣立った。山荘やテニスコートへの往復には欠かせないが、いつまで乗り続けられるだろうか。AIカーを描きながら、読みかけの新書を顔にかぶせたまま、深い眠りに……。

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