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エッセイ・コラム

「フェルメール展」を観て

藤原 道夫

 17世紀オランダの画家J.フェルメールの絵は人気があり、全30数点のなかでも「真珠の耳飾りの女」「牛乳を注ぐ女」「デルフト風景」はよく知られている。かつて「真珠の耳飾りの女」が上野で展示された際には美術館をとりまく長蛇の列ができ、入館するのに3時間待ちのときもあったとか。昨秋から3月下旬まで「上野の森美術館」で開かれている「フェルメール展」には「牛乳を注ぐ女」他8点が展示されている。入館が時間予約制と知り、チケットを2回分求めた。
 今回の「フェルメール展」に期待したのは「牛乳を注ぐ女」と「ワイングラス」の2点。
 前者はアムステルダムで何度かみている。牛乳の流れとパンの固い質感かすばらしい。なによりも健康そうな女中の存在感が、窓からの淡い光の中にみごとに表現されていた。今回の展示で久しぶりに再会したところ、以前の質感が全体的にうすれているように感じた。照明のせいだろうか。繊細なところほどみる時の条件によって左右されやすいと感じた。
 後者にはベルリン国立美術館を訪ねた際に出遭った。「バッハ音楽祭」でライプチッヒに滞在している時だった。ベルリン国立美術館をぜひとも訪ねたいと思い立ち、日帰りでベルリンに出かけた際にたまたまこの絵をみつけた。ワイングラスを傾けている女性のドレスの鮮やかなオレンジ色とそのグラディエーションが見事で、何度となくその絵の前に立っては眺め入った。今回の展示では、鮮やかなオレンジ色がくすみ、しかも色のグラディエーションがうまく表現されていないように感じた。女の脇に立つマントを着た男の姿は、以前と変わらず存在感を誇示しているようにみえた。
 絵を観賞する際に、画家が生きた時代的背景、描写法、描き込んであるものの象徴的な意味などを理解しておくことが大事だといわれる。勿論これは基本だ。それとは別に、絵をみるときの身体的・心理的な状態が絵から受ける印象に影響を及ぼすように思う。部屋の明るさ、絵の照明法も大切だ。例えば「デルフト風景」について。この絵を初めてみたのは6月、横なぐりの冷たい雨が降る暗い日にライデン郊外から北海沿いにデン・ハーグまでバスで出かけ、美術館にたどり着いた時にはほっとした。「デルフト風景」の前に立ったとき、夕立が去って日が射し始める瞬間の光景が見事に表現されていると感じ、感激した。二度目は8月の快晴の日、開館まで30分待って入館した。同じ絵の前に立つと、前の鮮烈な印象はうすらぎ、平凡な風景画にみえた。
 一度みた絵をしばらく経ってから再見し、感じた事を再検討する、そんな鑑賞法をたびたび試みてきた。たまに「デルフト風景」のように異なった印象を持つこともある。よくみえた時のことを信じるしかない。今回の「フェルメール展」は40日おいて再見した。印象は同じだったが、以前に見た時とは異なっていた。今回の展示で、絵の並べ方もスポットライトのような照明法もよいとは思えない。時間予約制の入場とはいえ、入れ替え制ではないので混雑している。これらさまざまな要因が絵の印象に影響しているのだろう。それにしても、最大の問題は今の自分の眼力かもしれない。

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