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エッセイ・コラム

小さな旅(続篇)~ 遊行期の風景

西川 武彦

「はぐきがたるんでいるので、完全には直りませんが…」と、中年の歯医者さん。奥歯の左上、歯と歯の間に食べ残りが詰まって、普通の爪楊枝では取れないのだ。平均寿命を超えた爺様は、お尻やお腹だけでなく、歯茎まで弛んでいるのだ。なさけない。
 ここでは柔らかくクラシックが流れ、口を開けて上向きに横たわる情けない姿の患者が見上げる位置に掲げられたスクリーンに、ヨーロッパ各地の景色が、車窓を流れるように静かに流れる。ここ東京は十二月だが、西欧の夏も日が短くて薄暗い。
 歯医者はパーサー、看護婦や受付の女性たちはスチュワ-デスと見做して、年老いた患者は顔を歪めながらも、VIP気分なのだ。

 月曜日の旅が終って、一日置いた水曜日は、浅草は蔵前にあるT眼科医院に小旅行。左目白内障の手術後の検診だ。数年前、自宅近くの今では引退した眼医者さんに紹介され、右目の白内障手術を受けたところだ。施設が整い、受付から、治療、会計にいたるまで、混んではいるものの、流れが気持ち良い。「パーサー」「スチュワ-デス」の見栄えも動きも無駄がない。紹介がないと治療しないせいか、客筋も総じてわるくない。
 シモキタの家からは、井の頭線で渋谷に出て、大好きな地下鉄・銀座線で終点の浅草まで、ゆっくりと座って行く。掌編小説などの構想を練る小さな旅でもある。T医院は、そこから都営浅草線で一駅戻った蔵前の駅前にある。治療が終わると、歩いてすぐの隅田川の河畔をのんびりと浅草まで歩く。途中、駒形の「むぎとろ」でランチ。和服姿のホステスたちのサービスに頬が緩む。先週は、浅草の馴染の寿司屋だった。
 日本で一番古い地下鉄といわれる銀座線は、上野、神田、日本橋、銀座、新橋等々、19の駅のどれもが東京の名所に近いので、その日の気分によりいずれかで途中下車してぶらつく。小さな旅先が詰まっていて嬉しい。

 二日置いて、土曜日は、次男から孫二人を預かり、外苑の「ニコニコ遊園」で、ランチを挟んで三時間ほど遊ぶ。9歳と3歳の姉妹だ。とはいえ、面倒を見るのは、「ば~ば」の役割で、「じ~じ」は、遊ぶ子供たちを見渡せるところに並ぶ今では珍しい籐椅子に深く沈んで日光浴である。ときどきよそ様の幼い子供たちが不思議そうに見つめて通り過ぎる。
 どこの国の人か分からないご面相の80を過ぎた爺様が、ベレー帽を被り、黒メガネを掛け、黒いコートで身を覆っているから、ちょっと異様なのかもしれない。
 彼らはといえば、何人かに一人は、異国の血が混じっている顔つきだ。肌の色もいろいろである。英語でなく日本語で会話している。なかには、ヒジャブを被った黒衣裳の母親にぶらさがっている幼児もいた。こちらはモスレムなのだろう。中国系、韓国系もいるのだろうが、今頃の彼らは容姿ではまったく日本人と区別がつかない。早くも傾きかけた陽を眺めながら、日本の遊園地も多国籍化していることをひしひしと感じた小さな旅だった。

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