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エッセイ・コラム

萩と月

藤原 道夫

 萩も月も、むかしから日本人の感性にとりこまれ、歌や美術に表現されてきた。芭蕉は『おくのほそ道』に、

一つ家に遊女もねたり萩と月

という一句をのこしている。この句にまつわるはなしはさておき、萩と月とのくみあわせに秋の情緒がただよっている。ここでとりあげる舞台は唐招提寺。
 この古寺が気に入り、四季おりおりたずねてきた。鑑真和上が好んだ瓊花がほのかな香りをただよわせる春もよいし、若葉の候もすばらしい。また、境内に萩の花が咲き乱れる時季はいちだんと趣ふかい。
 萩と月とのくみあわせが実現するのは、仲秋の名月の夜にひらかれる「観月讃仏会」にて。この日は夜も境内が開放される。金堂の仏像群はあかりが照らされ、法要がいとなまれる。また普段は入れない御影堂の前庭も開放され、そこからあかりの灯るお堂のなかを望むことができる。

「萩の寺」と呼ばれるところは、全国でいくつか知られている。唐招提寺はそれには入っていないが、萩のもっとも美しい寺の一つだと思う。通用口のある南大門を入って金堂にいたるじゃり道の両わきもよいし、建物のまわりもよい。金堂や校倉づくりの古い建物によく合う。仲秋の名月のころには花がおわりかけとなり、こぼれ萩がみられる。その風情がまたよい。萩は明るいうちのほうが見栄えがする。夜はところどころに灯る露地行灯が風情をひきたててくれる。虫の音も一段ときれいに聞こえてくる。

 金堂外陣に立って仏像群を拝観し、ふりかえってエンタシスとして知られる円柱をつくづくと眺める。会津八一はここで、

おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ

という歌を詠んだ。金堂の前向かって左がわに歌碑が建っている。
 はたして円柱の月影が土に映るのだろうか、考えてみる。方角と庇の深さからして、むずかしいのではないか。残念ながら当日月が見えず、それを確かめることができなかった。八一はこの歌を法隆寺で思いついたと書いている。そこでは土に円柱の月影が映るのかもしれない。
 八一の時代には、夜間も寺に入って月を眺めながら物思いにふけることができたのだろうか。いま、年に一度夜間が開放される「観月讃仏会」の日は、たいへんな人出だ。

 古寺は名月をながめるところでも、萩の花を愛でるところでもない。とはいえ、観月とあれば讃仏はさておいて、こころは月に、そして丁度咲いている萩の花に向いてしまう。

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