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エッセイ・コラム

キャベツの味噌汁

八木 信男

 4名の高校生を連れて八ヶ岳に行ったのはもう何年前のことだろう。大阪から夜行電車に乗り、茅野についたのは夜明け前だった。セブンイレブンがあり、初めてコンビニという存在を知ったのもこの時だ。美濃戸口へはバスで、そこから歩いて行者小屋へ向かう道中は真夏なのに沢沿いで、日陰が多く涼しかった。行者小屋に着き、テントを張り、生徒たちは夕食の準備を始めた。私はもう一人の引率教員とテントで休んでいたところ「大変です」という生徒の声で起こされた。調理用のナイフで指を切ったというのだ。見ると、左手の人差し指の先が深く切れ、ちぎれそうになっている。包帯で縛り、手を上にあげるように指示した。これは病院へ連れていかなけれなならないと判断し、ザックに非常食、雨具そしてヘッドランプを入れ、その生徒と2人で麓の病院を目指し、沢を下っていった。生徒には、止血のために、ケガした方の手を真上に挙げながら歩くように指示した。明るいうちはまだ道がわかったが、途中で日が暮れ、川を渡るポイントがわかりにくくなってきた。おまけに雨が降り出し、偶然みつけた洞穴で雨宿りをすることに。朝までここで野宿を覚悟しなければならないかもしれないと思ったが、一刻も早く病院に行かなければならない。生徒を洞穴に残し、道を探しにいき、道らしい踏み跡を見つけ、一か八か降りることにした。幸運にも立派な林道につながった。麓の病院に、ついたのは夜中の0時だったが、外科医が当直ですぐに縫合してくれた。
「今日はここに泊って行きなさい」というやさしい言葉に甘え、ソファで眠った。朝になり、松尾さんという看護師さんが、味噌汁とおにぎりをもって来てくれた。松尾さんは私の叔母くらいの年齢だったと記憶している。そして、キャベツの入った甘い味噌汁の味は今でも忘れることはできない。病院でこんなに親切にしてもらったことはなく、感激した。
 医者は生徒を大阪に帰したほうがよいと指示したが、生徒はもどって合宿に参加したいと言う。化膿止めを飲むこと、毎日消毒をすることを約束し医者の承諾を得た我々は、再び行者小屋のテントサイトに戻った。その後は、赤岳を登り、天狗岳まで縦走し、稲子湯に降り、合宿は無事終了した。
 帰阪してすぐに松尾さんにお礼の手紙を書き、お菓子を送った。それからかなりの年月が経ったある日、ヒマラヤを登った私の報告書を松尾さんに送った。すると松尾さんからお礼だといって信州のお菓子が届いた。そのお礼の電話をすると私の登頂を自分ごとのように喜んでくださった。
 いまでも八ヶ岳という名前を聞くたびに、あの遭難寸前だった沢道の下りと病院で頂いたキャベツの味噌汁を思い出すのである。

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