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エッセイ・コラム

モア イズ ディファレント

松浦 俊博

 8年ほど前、息子が専門分野を宇宙論から物性物理に変えると言った。「物性ってどんなことをやるの」と聞いたら、1972年にサイエンス誌に出版されたアンダーソン博士の一般人向け論文-洒落たタイトル「More is different」-などを送ってくれた。
 物理学は身の回りに起きる自然現象を解明する役割を担っている。自然をよく観察することにより解明のヒントが得られる点では、数学と異なり自然に寄り添った学問だといえる。一方、独自の理論を構築して現象を予言しても、実際にその現象が観察されなければ成果として認められない。その場合は、自分の理論がゴミかもしれないという重圧を抱えて悶々と過ごすことになる。特に宇宙論はこの傾向が強いと思っていたので、息子が分野変更した理由の一つはその重圧にあるのだろうと想像した。

 アンダーソンの、この有名な論文を初めて読んだ。タイトルは「多は異なり」と日本語訳されている。量が変わると質が変わる、もっと噛み砕けば、ミクロな構成要素が多数集まると集合体のマクロな性質に新しい構造が生まれるということだ。論文発行当時、ミクロな構成要素に関する基本法則を追求する素粒子物理が威張っていて、構成要素が多数集まったマクロレベルの振る舞いを調べる物性物理などを見下していた。ひとたび基本法則を手にすれば残りの全ては演繹できるというわけだ。アンダーソンは「万物の理論とは実は何物の理論でもない。アインシュタインもファインマンも超伝導を解明することができなかった」と反論している。
 彼は、科学の構造について自身の見解を「単純な階層構造ではなく、お互いに支持しあって成り立っている幾重にも連結した網の目である。結晶性などの物質相を特徴付ける性質は全て、個々の原子の世界では意味がなく、数多くの原子が集まって初めて論理的に意味を持つ」と述べている。更に考える手順について「サイズの大きな極限にある体系を概念的にまず考えて、それから有限の大きさを持つ実際の系に立ち戻って考えることが必要だ」と提言している。

 マクロな視点から現象をとらえるやり方は、統計力学で多少なじみがあるので受け入れ易い。ビッグデータの活用もこの着眼によるものだろう。無理やり「統一場理論」とかで括ろうとするのは間違っているのかもしれない。物性物理の発展を祈りたい。

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