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エッセイ・コラム

スマホが怖い

西川 武彦

 購読している東京新聞の2018年7月28日付朝刊を捲っていたら、編集委員の久原穏さんが女優・中田喜子さんを相手に片面一面のDIY特集を組んでいた。お名前と写真ではっと思い出した。14年前、筆者のヴォーカルカルテットがパリ公演したとき、現地でそれを取材・掲載してくれた記者だ。同じ新聞を続けて読めばこんな懐かしい「再会」がある。
 同紙だけでなく、国内紙、通信社の多くとは、国内・海外各地で特派員と懇意になり、それが細く長く繋がっていて、知的財産になっている。

 現在81歳の筆者が現役サラリーマンだった頃の電車では、日経などの朝刊や文庫本などを読み漁る風景が拡がっていた。
 今はそれらがスマホに変わっている。朝夕問わず、電車に乗れば、九割方は一人頭を垂れて、手持ちのスマホを食い入るように眺め、指を動かしている。新聞代わりにニュースを探る人、ライン・ゲーム等々、パソコンを超えて、ほとんど用が足せるのだろう。興味本位でちらりと覗くと、ほとんどは流行のゲームなどに耽っているみたいだ。
 混んでいる電車では、降りるときの手間を考えてドア近くに立つことが多いが、ドア際でスマホに耽る連中は、駅でドアが開いても、それにお構いなく、スマホを下げずに立ち塞がっているのが多い。軽く背中をつつくと、迷惑そうな顔で道を空けてくれるのだが、気分が悪くなる。プラットフォームや改札への階段でもスマホ族が邪魔をする。
 それにしても周りに一切興味なく小さな画面だけに耽るのがなぜか怖いのは、筆者だけだろうか。

 そんな疑問が晴れない昨今、7月24日付の東京新聞が、「歯止めの『居場所』喪失」という特集を組んでいた。サブの見出しは、「過剰情報が奪う『他人への関心』、この先は…『社会崩壊』か」と続く。世界はスマホだけ、端末と指先で情報を求め、興味あること以外にはまったく関心なし、家族を含め他人とじかに接して情報を得たり、考え悩むことをせず、嫌なものは嫌で我慢できない。友人、家族や恋人にいたるまで、意にそぐわないものは、見境なしに衝動的に「軽く」殺してしまう。あかの他人もしかり。
 同特集は、この短絡的エゴイズムは、反対意見に耳を傾けず、何がなんでも自分の意思を通す。現政権にも繋がっていると憂いている。

 話があちこちに飛ぶが、戦後、来日した外国人たちが、電車の中でだれもが本と読んでいるのを見て、日本は発展するだろうと言っていた。そのとおり、超高度成長を経てGDPでトップに躍り出たものの、それにおぼれて社会が退廃的安定期に入り、スマホ全盛の今、一年に一冊の本も読まない学生が三割以上いるとか。
 ……宴会で飲み過ぎ、他人のコートを着て帰って、激しく糾明されたご隠居は寂しくつぶやいている

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