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エッセイ・コラム

ヤンキースタジアムの飯田徳治選手

岩崎 洋一郎

 最近、野球界の話題は、大谷翔平選手のことで占められている。そして、引き合いに出されるのが、かのベーブ・ルースである。
 今から40年ばかり前、私が現役時代に遭遇した忘れられない逸話がある。
 出張でアメリカに赴いた。社のNY事務所に寄ったところ、何か騒いでいた。聞いてみたら、社長から知り合いのプロ野球選手が引退してNYに遊びに行くから、ヤンキー球場に案内してくれとの依頼が来ているとか。当時のNY事務所の駐在員3人はいずれも野球に全く関心が無い輩であった。私は大好きで、中学校時代には部にも入っていた。それ故、私が代行してアテンドすることにした。
 その決められた日は日曜日、私はリムジンでホテルに伺い、飯田徳治さんを案内してヤンキー球場に赴いた。飯田選手は現役の時代に南海ホークスと、後に国鉄スワローズで一塁手として好守・好打で有名であった。彼のプレーを何回も見ていた。ヤンキー球場に到着してヤンキーズ球団の幹部室に挨拶に伺った。日本のコミショナーからの紹介状を渡した。
 本来私はそれでお役御免であったが、あえて勝手に付け加えた。「彼は一塁手で、好守で有名です。そしてルー・ゲリック同様に連続試合出場の記録保持者です。いわば日本のルー・ゲリックです」と。この発言で、ヤンキーズ球団の幹部の顔色が変わった。「そうですか!」「わざわざ我が球場にお出で下さいまして、光栄です」などなど。
 野球を見物に来賓席に案内されて観戦を始めた。試合が2回ぐらいに進んだとき、球場全体がざわつき始めた。そして周りの観客全員が、センター後方を指差していた。見ると、電光掲示板に次のメッセージが大きく掲示されていた。「大歓迎!ミスター飯田。日本のルー・ゲーリック!」とあるではないか。それを飯田さんに指し示すと、びっくりして涙目になっていた。私は彼に「立ち上がって、手を振ってください!」と言った。彼が立ち上がって手を振ると、万雷の拍手と歓迎の歓声が上がった。飯田さんの目には涙が、溢れていた。
 着座すると歓声は静まり、ゲームが再開した。すると、前の席に座っていた白髪の老婦人が立って、振り向いた。にっこり笑って、手を差し伸べてきた。そして「私はベーブ・ルース夫人です。ようこそ」と。これには私も仰天!!飯田さんも目をパチクリ。 言葉を失うとは、まさにこんなことを言うのであろう!。

 試合後、特例としてグラウンド内に案内された。飯田さんはゲーリックが守った一塁ベースに立って涙した。さらに、センター後方にある当時の永久欠番、(3)Babe Ruth, (4)Lou Gehrig,(5)Joe DiMaggio, (8)Yoggy Berra, そして黄金時代の監督Miller Higginsなどの名選手たちのレリーフ像のある地点にも案内された。

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