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エッセイ・コラム

知らぬが仏

松浦 俊博

 高校までに習った数学では、空間や時間に違和感を覚えなかった。空間は直角に交わる三つの軸により定義されて、平面と直線が日常の感覚どおりに存在した。平行線も交わることなく、平行移動も紙に図示できた。
 しかし、大学では曲面の入門書を読むうちにいくつかの疑問に躓いてしまい数学をまともに勉強しなかった。それでも、小さな曲面を張り合わせることにより滑らかな曲面を形成する方法は何となく分かった。そして、宇宙は伸び縮みやねじれが可能なゴム風船のような曲面上に存在するという感覚を持った。ちなみに、曲面を考えたガウスやリーマンは日本では江戸時代の人だ。昔から偉い人がいたものだと感心する。

 躓いた疑問は次のようなことであった。曲面という空間を構成するためには複数の点が必要だと考えると、点とは何なのか分からなくなった。場という得体のしれない考え方がある。重力による場が形成する曲面上を光は最短時間で進むようだ。場はエネルギー分布ではないかと思う。この曲面を形成する点と点の間には隙間があるだろうから、曲面すなわち空間は本質的に不連続なものではないか。このため伸び縮みしたり曲がったりするのだろう。
 では時間はどうなのか。物理で習ったロレンツ変換では物体が高速で運動しているとその物体の時間は遅くなる。そうすると時間は速度により伸び縮みすることになる。また重力場によっても変化するらしい。しかし時間に隙間はあるのだろうか。感覚的には隙間があるとは思えない。物理現象をあらわすのに空間と時間を同様に扱うことが一般的だが、これには違和感がある。さらに時間はプラスの方向にしか変化しないのではないのか。「ある時刻に、物体の速度を逆転すれば時間はもどる。」と書いた教科書もあったがピンとこない。このように異なる性質を持つ空間と時間を同様に扱っていいのだろうか。

 こういうモヤモヤを抱えて過ごすことになるなら、数学をもう少しまともに勉強しておけばよかったと反省する。しかし、もし勉強していたらもっと悩まされたかもしれない。知らないほうが気楽に悩みも少なく過ごせるはずだ。「知らぬが仏」ということだろう。

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