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エッセイ・コラム

「うるさい」

西川 武彦

「うるさい日本の私」(日経ビジネス文庫)という本を読んだ。作者は中島義道さん。
 バス・電車のなか、駅、観光地、デパート、不要物回収車等々、日本中いたるところで、“おせっかいな放送”が聞こえてくる。「戦う哲学者」と称する中島さんは孤軍奮闘、静かな街を求めて、各所で「音漬け社会」に異議を申し立てる。怒鳴り込むと、彼がいる間は止めるが、立ち去ると再び始まるという。

 同書を読み終わった次の日、T新聞の読者欄に、「駅の自動音声 無駄を省いて」と題した投稿が載っていた。曰く、「…放送内容も増える一方で、周囲の騒音と競うような音量。
 耳の悪い私でも耳をふさぐほど…。疲れ知らずの自動音声放送は反復も多く、電車が入ってくると途中で切れることもあれば、放送が重なって何を言っているか分からない時もあります…。案内や連絡はまだしも、『ご利用ありがとうございます』のような自動あいさつは不要のきわみです。過剰な放送はストレッサーとなります、云々」。同感で、思わずニヤリとした。皆さんは、どうお考えになる?

 それに前後して、同じT新聞で、環境問題に関わる二点の記事が目に留まった。一件目は、同社の「筆洗」というコラム。「シン・ゴジラ」などの映画監督、樋口真嗣さんによると、巨大怪獣が好んで破壊するものに電柱・電線が欠かせないとか。電柱と電線が織りなす風景は東京の顏で、それらがなぎ倒され宙に舞う迫力が欠かせないという。
「筆洗」は、「…ゴジラが聞けば、涙ぐむかもしれないが、これも時代の流れである。国土交通省は2020年までに、全国約千四百キロの道路で電線を地中に埋設し、無電柱化するとの計画をまとめた。震災時、倒れた電柱で救援物資の運送の妨げになる危険や景観の向上。
 それを思えば、無電柱化の利はあるだろう…」と綴りながら、なくなればすっきりするだろうが、明治以降の長きにわたって日本の風景と生活を支えてきた電柱に名残をおしむトーンで〆ている。世界の先進各国に比して、日本の都会では、電信柱や電線が無秩序に賑々しく立ち、張り巡らされているのに無性に腹が立っている筆者は、びっくりした。

 同じころ、こういう読者投稿もあった。「駅のラッシュ 母国と大違い」と題する、タイ人留学生Aさんの投稿だ。曰く、ラッシュ時の混んでいる駅で、皆がぶつからないで歩くのにびっくりした、どうやったらよいのか戸惑っている、早く慣れねば、矢印でしっかり区別してくれたらいいのに、云々。そういわれれば、新宿でも渋谷でも、迷子になりそうな複雑な駅で、皆さんは混雑を抜けて実に巧みに、ぶつからずに動いている。筆者が利用するシモキタの駅は、小田急線の地下化に伴い大改造中だが、工事日程に合わせ、日替わりメニューのように構造が変わる通路を、皆さん急ぎ足でぶつからずに歩いている。見事なものである。
 その昔、度々訪れたパリやロンドンでは通路が分かれていて、そんなことはなかったと記憶している。一方では、こんなジャパンを訪れる外国人の数は鰻登りである。2020年の東京五輪の頃には、年間四千万人も夢ではないらしい。
 This is Japanで、清濁がある方がよいのなのかも…と、駅の混雑でよろつきまがら、ご隠居は呟いている。

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