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エッセイ・コラム

「奥の細道」翁道中記(その二十四 船岡~仙台)

池田 隆

二十五日目(平成二十九年十二月五日)
 今日も快晴、昨日同様に白石川の右岸土手を歩き、一時間ほどで阿武隈川との合流地点に達する。東北本線と阿武隈急行線の鉄橋と並行する白幡橋を渡り、阿武隈川の左岸土手に出ると急に視界が広がる。遥か前方に高い煙突から白い煙が長く水平に伸びている。海が近くなった感じだ。
 常磐線を横切ると大きな堰がある。東日本大震災では此処まで津波が押し寄せたという。広大な製紙工場の脇を過ぎ、左折して岩沼の旧市街に入り、歌枕の「武隈(二木)の松」で有名な竹駒神社へ。芭蕉も訪れ、「桜より松は二木を三月越し」と詠んでいる。
 日本三稲荷に相応しく荘厳な大きな社である。ご由緒書きを読むと陸奥守小野篁の創建とある。境内より少し離れた街角に「二木の松」が現存する。尤も現在の松は七代目とのこと。素直に眺めると、逆立ちした人間の股のようで特別の感興も覚えない。能因や西行が和歌に詠んだという目に見えない歴史価値が重要なのだ。
 芭蕉はこの辺りから少し迂回して藤原実方の墓を訪れたかったようだ。しかし道が悪く断念し、「笠島はいづこ五月のぬかり道」と詠み悔しがる。 
 我々も先を急ぎ南仙台駅へ直行する。電車で仙台駅へ出て、駅前のホテル「ガーデンパレス」にチェックイン。夕食のビールと金目の一夜干しで疲れを癒す。

二十六日目(平成二十九年十二月六日)
 南仙台駅から仙台市街へ向け歩き始める。震災復旧の成果であろう、広々とした新市街のなかを立派な道路が一直線に伸びる。広瀬橋を渡り、旧市街の狭い道を抜け、陸奥国分寺跡に出る。
 ベンガラ色の廻廊を設けた天平様式のガイダンス施設にまず入り、ボランティアの方よりこの地域の地勢や古代歴史の説明を聴く。宮城平野は広瀬川の河岸段丘になっており、津波の被害範囲もその段差で決まったとのこと。本堂跡の薬師堂には「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」の芭蕉の句碑が立つ。
 国分寺跡より榴岡天満宮などを巡り、青葉城にて打上げる。

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