作品の閲覧

エッセイ・コラム

シシャモとホッケ

内田 満夫

 2月22日は猫の日。猫ブームで飼育数がついに犬を上回ったと言われているが、ペットショップのケージ数を比べて見るかぎり、まだ犬のほうが優勢のようだ。
 幼少の頃からの無類の猫好きだが、長いあいだ飼える環境にはなかった。それが定年直後に、ひょんなきっかけからチャンスに恵まれる。生後3ヶ月のキジトラの仔猫2匹が家族となり、彼らとの生活が始まった。この「疑似孫」は、夫婦だけの空間に数々の騒動と笑いと面倒を巻きおこし、楽しませてくれる。彼らを介しての会話も増え、2匹を肴にしながらの晩酌が私の至福のひと時となった。
 雄のホッケは私によく懐いたが、雌のシシャモがまったく懐かない。自ずと懐くほうを偏愛することになる。ホッケはクリクリした眼のやさしい顔だちで、少しノロマの甘えん坊だ。食事の時には必ず膝に乗ってくる。パソコン作業に入ると必ず邪魔をする。近所の散歩にも時々連れて出た。もちろん毎晩抱いて寝る。掛け布団のへりを探ってもぐり込み、くるりと向きを変えて丸くなるとゴロゴロが始まる。腕にかかる程よい重みの感触に、猫好きの幸せ感が頂点に達する。
 溺愛していたホッケが昨秋、12才を前に逝った。突然食べなくなって3日目の夜に、あっけなく命が尽きたのだ。体が丈夫でないので動物病院によく走った。一時は5キロあった体重がわずかの3キロ、そのあまりの落差に泣く。その夜は「黒霧島」を呷りながら、そこだけはいつまでも柔らかいままの耳と尻尾を撫でて明かした。翌日、近くの動物霊園でホッケは空に昇り、小さな骨壷が残る。春になったら灰を、一緒によく花見をした団地の公園の桜の木の下に撒いてやろう。
 かまってやらないできたシシャモは、目が切れ長のややきつい顔だちで、小ぶりの体の動きは素早い。同類が突然いなくなった直後は、声高にニャアニャアなきながら屋内のあちこちを探し回っていた。半年が過ぎて、そのシシャモがいつのまにか元のホッケの定位置にいる。散々邪険にされた私にも、今は纏わりつくようになった。前のように布団から逃げ出すこともなく、私の脇で安心して眠る。ホッケの死でポッカリ空いた心の穴を、今はシシャモがしっかりと埋めてくれている。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧