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エッセイ・コラム

『ウォルデン』

安藤 晃二

 ソロー、Henry David Thoreau(1817-1862 )は19世紀初頭の米国ニューイングランドでTranscendentalism(超絶主義)と呼ばれた、詩人エマソン(1803-1882)に率いられた哲学の知識グループの盟友であった。その最高傑作の小説が『ウォルデン』である。 「ソローは既にスマホ狂いをお見通し」副題は「ソローは不眠症解消の目的でWaldenに行った」とある。昨年7月エモリー大教授レイス氏のLos Angeles Times 紙への投稿が目に留まった。昨年はソロー生誕200年の年であった。学生時代耽読した「Walden・森の生活」が懐かしい。

 高校時代の数学の教師が、何故か熱心に英語を学ぶ重要性を説いた。それも毎日のように、自分が旧制高校時代如何に素晴らしい英米文学・哲学など原文で読まされたか、その体験を話して聞かせ、生徒らを鼓舞する。エマソン、ポー、ホーソン等々、そしてソローも居た。受験時代でなかなか余裕もなかったが、その先生に随分と啓蒙された印象がある。

 哲学的思索に専念し、自然と人間を益々隔てる産業革命以降の文明の発展に抗って、ソローは、実験に挑む。ボストン近郊のコンコードの森、Walden池の畔に小屋を建て二年半の間、文明と隔絶し、自給自足の生活、僅かに遠くの汽車の音が聞こえる、そんな生活を実践する。

 レイス教授は語る。ソローが1845年にその様な行動をとった理由の一つは、「睡眠」問題を解決することであった。体内リズムを「自然」のそれに合わせ直す。ソロー個人の問題ではない、社会全体が睡眠不足に毒されている。彼は書く、覚醒していることは生きている事だ。しかし、真に覚醒している人間に会った事がない。人間がこの世の刺激を与えるものに中毒になっているからなのだ。ニュースに血眼になる、娯楽、商売に熱中、高速電信技術、騒音、組織労働から来る抑圧、何をするにも時間に追われる。ソローはスマホが現れる150年も前に、気付いていた。人は30分も寝ていられず、夜中につかれたようにスマホに手を伸ばし、ニュースをチェックする。ソローは、我々の現代のこの経済が必然的にスピードと通信技術の中毒に嵌り込み、人間に回復をもたらす睡眠に障害を与えていると言い放っているのだ。

 人間の身体は様々な生理時計に支配されている。消化、ホルモンの調整、それらに依って眠気を感じたり、しゃっきりしたりする。全て人体を取り巻く環境が影響する。体内時計との調和が崩れると、肉体のみならず、精神的疾患の厄災さえ惹き起す、と現代の時間生物学者は主張する。ソローを読むと、この問題の原点と帰結を理解できる。急速な産業化が体内リズムを崩し、物質主義が「自然」の力を支配するに至る。ソローは、近隣の成功した資本家達が、富の力で大邸宅を構え、広大な敷地を壁で囲み、その城内で自然からの音も聞かず、産業の必要に合わせて寝起きするのにむかついていた。彼は「健康は自然と深甚な関係を持つ」すなわち、自然環境が損なわれることにより人体の変化が生じる。現代の気候変動研究者は、ソローが克明に観察記録した池の氷が割れたり、春の野草の開花時期を参照すると、コンコードの春はソローの時代より数週間も早くやって来ることに気付いているのだ。彼の作品を再読すると、現代のハイテク、超過激な消費社会が季節さえ変えてしまうことを理解するのに役立つであろう。ソローは今日の「エコロジー」の先駆であった。

 Transcendentalism(超絶主義)は1830年代にエマソンを中核に推進された思想運動である。当時英国で生まれたユニテリアン教会(三位一体を信ぜず、神のみの単一信仰)がハーバード大学の神学に大きな影響を与えた。このユニテリアン教会の宗教思想の有機的な帰結として、超絶主義が生まれた。ユニテリアンが主張する「自由な良心」と「知性の価値」を超絶主義は共有する。更に「自らの直感に頼り」、「人間の独立」を原理とする。「経験」を超越し個人自らの内心に「善なるもの」、「神性」を見つけようとする超絶主義が当時のハーバードの知性と精神性の在り方に抵抗を示したのである。
 ユニテリアン教会発祥は、当時の哲学、芸術等におけるロマン主義の流れが、英国においても影響したと言われる。因みに、ハーバード大学は、英国から植民した十七世紀のピューリタンのニューイングランドにおいて、聖職者不足の将来が憂慮され、その目的のためボストンに緊急に設立された大学の由である。当座は、自動的に聖職者の資格を持つケンブリッジ大、オックスフォード大の卒業生が毎年百数十名、英国から「輸入」されたという話は興味深い。後代のエマソン、ソローもハーバードで学んでいる。

 都市の膨張と相まって自然との関係性が失われ、ハーバードの知識人さえ策略家に堕して行く。超絶主義の考え方は個人の絶対的尊厳を重視、個人主義と平等主義を推進する意味合いにおいて、アメリカの民主主義の根底を支えるものに繋がって行くのである。ソローは身をもってその主張を実行し作品に表した。また彼は、米墨戦争、奴隷制度に反対し納税を拒否して投獄されている。

 アメリカでは、ソローは高一で必読である。米国時代、娘を全寮制の学校に入れていたが、仕事の関係で、我々夫婦は先に帰国した。高校終了時、アメリカでは「college visit」と称して親が付き添って志望大学を歴訪し、見学やDean(教務部長)と話したりする習慣がある。忙しい最中であったが、会社から10日間の休暇を貰い、ニューヨーク、ボストンから中西部まで、娘と一緒に旅をした。コンコードの町をも訪問し、ソローの小屋のあったWalden Pondに行って見た。今でもそこには複製版ともいえる小屋があった。快晴の春の一日、森と水の大自然、それは娘のこよなく愛すべき風景であった様だが、恐らくソローの時代のままの形でそこに横たわっていた。

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