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エッセイ・コラム

大学とは(1)

金京 法一

 小さな地方都市の小学校では、将来大学に行こうという子供はごく少数で、有力者の跡取りなどに限られていた。筆者の場合は、父親が医者であったので、医学部に入って、将来医者を継ぐのは至極当然と見なされていたと思う。そういった世間の目を無意識に感じるのか、一年生の頃から、真面目に勉強したと思う。

 小学校、中学校、更には高校三年となったが、そこに意外な問題が持ち上がってきた。青年期によくある微熱である。結核ではないかと父親は疑い、夜の受験勉強は禁止されてしまった。今のように受験塾などない時代で、唯一の受験対策は高校がやってくれる進学講義だけで、それは受けたが、十分な予習復習ができず、歯がゆい思いをした。

 やがて、受験申し込みの時が来た。すると父親は奇妙なことを言い出した。日本で力があるのは東大出の官僚だ。受験準備ができていないのなら、目をつむって東大文一を受けてみてはどうか。うまくいくかもしれない。人生にはそういうこともある。

 結局、一次は東大文一で、二次は医学部目的で千葉大を受け、千葉大に合格した。父親は跡取りができたと喜び、筆者も不十分な受験準備で合格したことを喜んだ。

 大学の授業は目新しく、友達もできて楽しい日々であった。

 一月ほど経って、筆者同様地方から来た男が奇妙なことを言い出した。ここにいる学生は全員医学部志望で、そのうちかなりの数が来年東大を受け直そうとしていると。千葉大医学部は一流で、今更東大を受け直す必要などあるまいと筆者が言うと、彼はそんな問題ではない、もっと感覚的な問題だ、本郷に行ってみると、何が何でもこの大学に入りたいと思うようになると。実は筆者は駒場のキャンパスしか知らなかった。その週末に本郷に行ってみた。なんとなく友人の言っていることも本当のように思えだした。

 それから起こったことは、まさに若気にいたりとしかいいようがない。一学期で、千葉大を退学し、お茶の水あたりの予備校に通い始めた。実家にも帰らず、半年間必死に勉強し、努力の甲斐あってか翌年東大理科二類に合格した。

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