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エッセイ・コラム

エッセーを書き、発表して感じたこと

藤原 道夫

 「何でも書こう会」に参加して3年、50篇ほどの短いエッセーを書いた。振り返って題を見ると、小学生から中学生にかけて7年間、父親の郷里・西会津の山村で過ごした時に関連したことが多い。文中に見知らず柿、棒鱈、凍み雪渡り、阿賀野川の急流、天の川などを盛り込んでいる。四篇の「山菜採り」を書きながら、当時の心情に分け入ることも試みた。少年期に自然に対する畏怖の念と収穫する悦びとを満身で感じていたのだ。あの時期に山村での生活を通して、自分の感性が育まれたことを改めて思い直す。
 イタリアを旅した時のエピソードや国内を散策したした時のことも情感を込めて書いた。それらは自分にとって心の旅の記録である。旅は心を解放し、楽しみを満たし、懐かしい回顧をもたらす時間であり、また見聞を広め、物事を体系化していく過程であった。
 専門分野に関連することは書き難い。日進月歩の領域では、現場に居ないと正確な情報が得難いし、理解度も浅くなりがちだ。それに短文の中では専門用語の解説に字数を費やせない。そう思いながらも、昨年マダニやヒアリに関することを取りあげてみた。うまくいっただろうか。
 書きながら最も悩むのは最後の締めくくり。「小さな祈り」を書いた時、誰しも祈りの精神は分かるが日常生活で実践するのは難しいと感じている、この単純なことをまとめるのに難渋した。
 発表した時に頂く意見は、何であれ貴重だ。気付かされることは、文中での思考が枠内に閉じ込められてしまっていること。様々な視点があることを知らされる。意見を参考に「大徳寺散策」を書き直してみたところ、締まった文に仕上がったと思う。発表したことへの褒美だ。また、意見を入れて書き直すと、思ってもいない結論に到達することもあった。「石庭の枝垂れ桜」では、迷った末に禅寺の試みだと推定するに至った。
 当惑するのは、基本的な説明を端折ると、分かり難いと指摘されること。そこまで盛り込むのは難しい。このあたりを今後工夫せねばなるまい。

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