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エッセイ・コラム

ふるさとの鍋料理

首藤 静夫

 鍋料理の季節だ。
 今は全国どこにいても旨い食材が手にはいる。古くは、僕ら九州の片田舎では鍋用の魚は殆んどなかった。フグ、アラなどは九州名産だが、昔から高級品で獲れる地域も限られる。肉類はさらに乏しい。鍋といっても湯豆腐に毛の生えたものだった。
 そんな我が家にある年、「イナ」が届いた。
 イナはボラの子、といってもボラ自体を知らない人も多いだろう。河口付近で飛び跳ねている30センチくらいの魚だ。時おり大挙して川を遡上してくる。この魚がボラになる前の名前をイナという。江戸時代、粋で勇み肌の若衆を「いなせ」といったが、髷の形がイナの背に似ていたからという。そのイナが母の実家から沢山届いた。

 母方の祖父は海産物商だったが、引退後思い立って養鰻業を始めた。浜辺近くの蘆沼を安く買い、ここに養鰻用の田(鰻田)をセメントで作り、幼魚を飼い始めた。ところが――。
 数年して異変が生じた。鰻田で飛び跳ねている魚がいる。イナだった。祖父が調べると鰻の数が減っている。死んで浮かんでいる訳ではない。
 折角こしらえた田だが、側面か底かが破れて海とトンネル状につながったようだ。鰻が海へ、海からイナが田へと入れ替わったのだ。田から海まで70~80メートル。柔らかい砂地だ、マックィーンの「大脱走」よりも簡単だったろう。仕方ないのでこの魚を捕獲し、ご近所にも我が家にもと相なった。
 鍋の具材の乏しい中でこれは貴重だ、さっそく「イナちり」に。調理はいたって簡単、ぶつ切りのイナをネギ、豆腐他と一緒に水炊きにするだけ。イナは味にくせがあるのでネギは欠かせない。太い青ネギをザックリ切って鍋に放り込む。手元の味付けは「橙」と醤油。九州は柑橘類の産地、ポン酢のない当時に橙は重宝だった。農家の庭にはたいてい橙の木があり酢の代用とした。絞ると天然果汁の香りが弾け、甘酸っぱさが椀に広がっていく。素朴ながら幸せな気分だった。
 昭和30年代の風景である。

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