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エッセイ・コラム

恩師に学ぶ(①厳しい鬼教師)

安藤 英千代

 恩師財部先生は、台湾の師範学校卒業後、志願して海軍予備学生飛行科の最後十五期として入隊されました。土浦の航空隊で地上訓練を受けられましたが、最早そのとき練習機すらなく自宅待機となりました。あと一年でも早ければ特攻隊として戦死されていたことでしょう。師範学校卒業時に恩師から「お前は、真っ先にお国の為に死にますと言いそうだが絶対に死ぬな!」と言われたそうです。
 終戦を迎え教職に就かれましたが、中学の同窓生に特攻隊で戦死した人がおられ、一本気な先生は「生き残ってしまった!」と思い教職となってもその思いが強く、全身全霊で生徒を厳しく真直ぐに育てられていたのだと思います。

 元々先生の専門は社会科でしたが、団塊の世代の私達が中学生になるころ手薄になった数学を担当されました。そういう経緯を知らない私達は、『猛烈に厳しい鬼の数学教師が自分達の担任になる?』と、おっかなびっくりで三年生になりました。

 霊峰高千穂峰を望む山村中学で進学塾などは皆無。先生方は実に教育熱心で、正規の授業のほか朝・夕各一時間の課外授業を、無報酬で熱心に授業してもらいました。中でも財部先生の授業は真剣で、「僕の授業を真面目に聴いておれば、予習も復習もいらない。それで十分100点満点が取れる!」が口癖で実際その通りでした。その代わり私語やよそ見は絶対に許されない”厳しい鬼教師”で、少しでも気の緩みが見えると、容赦なく黒板用木製三角定規で頭ゴツンされました。
 ある朝の課外授業中、優等生の俊一君と俊郎君が私語を止めないのも見咎め、「二人とも前に出てこい!」と、いきなり往復ビンタされました。俊郎君の唇が切れ、先生の手に付いたその血が俊一君の白い頬を真赤にしました。それ以降、授業中の私語は全くなくなりました。この俊一君は九大卒業後一流企業の重役になり、敏郎君は神奈川県警で重要ポストを務めました。

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