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エッセイ・コラム

杉山八郎のペン画と樋口一葉

木村 敏美

 以前友人が、杉山八郎氏の「東京下町たたずみの家々」という本を貸してくれた。色彩の無い精密な描写のペン画は、今も東京に残っている古い木造住宅の絵で説明も書かれている。大都会の中にこんな住宅がまだ残っていて、しかもそこで生活している人々がいることに驚いた。その中に樋口一葉も使った掘抜きの井戸や通った質屋と近所の家々の絵があり、幸い戦災を免れたその場所は、現在文京区本郷四丁目で、機会があったら見てみたいと思っていた。今年四月主人と東京に行く事があり東京駅に着いて、たまたま午後から時間があいたので、急遽一葉ゆかりの地を訪ねる事にした。
 東京メトロ丸の内線に乗り後楽園で下車、東京ドームを後にして案内所で道を聞くと徒歩で十五分位の所と言う。大通りのなだらかな坂を登りきった所から住宅街に入った。
 暫く歩くと急な下り坂となり右側に何本か細い路地がある。その中の一本に入ると杉山氏の絵そのままに井戸と石の階段、両端に三階建ての古い木造の家がたたずんで、明治時代にタイムスリップしたようだった。
 当時のつるべ井戸は、ポンプ式に変わり青く塗られていたが今も使われていて、周りには一昔前の木造住宅があり、洗濯物が干され、家の前には木蓮の花が咲き植木鉢等も見え人々の息使いが感じられた。一葉に逢えた様な気持ちになり思わず井戸に手を触れると、ポンプ使用すべからずの注意書きがあり写真だけ撮る。この井戸のすぐ側に三年近く住んでいたそうだが当時の家はなく、鐙坂と言う坂を下った途中に、貧しい家計を助けるため通ったとされる質屋があった。百年は越している白壁の蔵と格子造りの二階家があり、一葉ゆかりの伊勢屋質店の看板があった。どんな思いでこの坂を往復していたのだろう。

 夕方になり、文京シビックセンターの二十三階にあるレストランに入った。店を出るとその階は一周できる展望台になっていて広い窓から東京中が見渡せ、日も暮れ始めた街は、ビルのネオンと揺れ動く車のライトで浮かび上がった。空は一面暗い青紫の雲に覆われたが、下の方に帯状の真っ直ぐな夕陽が何処までも続いている。
 沈み行く前の束の間に輝く真っ赤な夕陽を見ていると、最後の短い間に数々の名作を書いた一葉の人生そのものの様に思えてきた。
 若くして戸主となり、生活を支えるため小説家を断念、一時期吉原遊郭周辺に転居し商売をした経験で遊郭周辺に生きる人々を知り、明治社会に対する認識を深め大きく飛躍し、執筆活動を再開。肺結核のため、二十四歳の若さで没するわずか一年半あまりの間に、たけくらべ、にごりえ、十三夜等の代表作といわれる名作の数々を生み出し、奇跡の十四カ月とも言われた。
 誰もが活き活きと輝いた思春期の子供達を書いた“たけくらべ”以外の殆どの作品は、明治近代のなか、さまざまな場所で沈黙を強いられた女性達の姿を描き出している。
 時代背景だけではなく、人間の生まれ持った性や絶望感は時代を超え今も通じるものがあると思う。文壇でも高く評価されたが、女性が小説を書くことで好奇にさらされていることに気づき、経済的にも報われぬままだった。
 端正な顔の表情からは何も掴めないが、借金と生活苦に追われ、女性作家であることに苦悩した彼女が、居並ぶ偉人男性の中、唯一人の女性として五千円札の顔になったことを知らせることはできないものか。
 あの日見た帯状の夕陽のように、鮮烈に生きた彼女の人生にエールを送る事は出来ないが、作品を沢山読んで少しでも理解を深めたい。

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