作品の閲覧

エッセイ・コラム

過ちは繰返しませぬからⅢ―道は遠いのか?

内田 満夫

 広島原爆慰霊碑の碑文は、当時の浜井信三市長の依頼を受けて、広島大の雑賀教授が撰文・揮毫したものである。除幕は1952年8月6日。ほどなくして碑文論争が始まったようだ。碑文の意図は誓いと祈り、「安らかに眠ってください過ちは繰返しませぬから」の主語が「人類全般」を指すことは、歴代の広島市長が折にふれ一貫して明言してきたところである。
 国連の「核兵器禁止条約」制定交渉がこの3月に決着し、122ケ国の賛成で採択された。原爆投下から70年以上を経て初めて、核兵器禁止を明文化した国際条約文書が誕生したのである。その意味では終戦72年目の本年、2017年は記念すべき年だったのだ。今年の式典で長崎市の田上市長は、これを「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼んで喜びを表わした。
 しかしこの交渉には、残念ながら核保有国は参加しておらず、条約制定の実効性には端から疑問符がつけられている。世界人類全体の誓いとして成就するには、まだ道遠しと言わざるをえない。「核なき世界」に向けた、オバマ前米国大統領のプラハ演説(2009年4月)も、これに逆行する昨今の流れを目にしては空しいばかりだ。
 米国の核の傘下にある日本はというと、この条約制定交渉への参加を一貫して見送ってきた。その結果、唯一の被爆国として、率先して世界に発信する責任を放棄したと内外から非難されている。平和憲法を掲げ、「戦力を持たない」唯一の被爆国である特異な地位を、日本は国際社会の中で活かせないでいるのだ。第二次大戦の戦後処理の枠組みが冷戦構造に向かう中で、核の傘の一方に与する単独講和に搦めとられた命運を今は嘆くしかないのだろうか。
 先の大戦での暴走は、近代における日本と日本国民の負う原罪と言えるだろう。われわれ戦中・戦後世代は、残念ながらそれに決着をつけることができないでいる。毎年の式典では、次代を背負って立つ若い中・高校生や児童の姿が必ずある。真摯な表情で参加する彼らの姿に、これからの希望を託すしかないだろう。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧