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エッセイ・コラム

ゼロ戦神話

志村 良知

 第二次大戦開戦時、零戦は世界最高の制空戦闘機だった。性能第一の設計で、軽量な機体は超々ジュラルミンという貴重な材料から部品を削り出し、肉抜き穴を開け贅の限りを尽くして作られた。資源の無い国故の資源節約小型軽量戦闘機だったというのは嘘で、1000馬力のエンジンに合わせて、高級な材料と工数(人手)を惜しみなく注ぎ込んだオーダーメイド機体だった、しかしその完成度の高さから戦況が変わっても改良する余地がほとんどなく、最後まで1000馬力エンジンのままの基本設計で戦い続けざるを得なかった。

 零戦は防弾装備がない生命軽視の飛行機だと言われる。それに対して米軍の戦闘機は防弾鋼板でパイロットを守っていた。これは事実である。しかし、その防弾は零戦の機首に装備された7.7ミリ機銃弾に対するもので、主翼の20ミリ機関砲弾には対応しようもなかった。20ミリ弾が当たったら諦めろ、であったのだ。
 米軍機に幸いだったのは、この20ミリ砲は装弾数が少なく、撃った弾の直進性即ち弾道性能が悪く、零戦パイロットの操縦と射撃の腕が良くないと当たらなかったことであった。そして、その技量があるパイロットはどんどん消耗されていった。
 一方、米軍機の機関銃はブローニングM2、12.7ミリの6連装。このM2の性能は素晴らしく、第二次大戦兵器の中で唯一米軍の制式兵器として現在もなお使われている。M2の12.7ミリ弾に対しては、米戦闘機が装備した防弾鋼板でもボール紙同然で全く役に立たない。その弾丸が毎秒60発ほど超音速で襲ってくるのだから完全に防ごうと思ったら戦車になってしまって空を飛べない。結果として零戦は、装甲は捨て、軽快な運動性とパイロットの技量に頼らなければ大空で生きる道はなかった。

 開戦当時、零戦は低空での1対1の格闘戦では無敵だった。米軍は「低空でのゼロと雷雲は回避すること」という通達を出したと言われる。しかし、高空ではガソリンの質と過給機の性能不足でエンジンが息切れし、速度も敏捷性も失われた。
 急降下性能も泣き所で、機体強度不足から飛行姿勢を変えるきっかけの横転(ロール)に速度制限があった。零戦に慣れてきた敵機は高空から急降下で襲ってきてそのまま急降下で逃げる一撃離脱戦法をとり、格闘戦でも窮地に陥ると急降下で逃げた。逆に急降下中の零戦は優速の敵機に追いつかれ、左に緩い横転しかできないところを背後から狙い撃たれた。
 さらに敵が2機ペアになり無線交信で連携して戦うようになると、錬度不足のパイロットはこの欠点を徹底的に突かれ、防弾の薄い機体に12.7ミリ弾の雨を浴びせられた。この末期の零戦の戦いをもって零式艦上戦闘機は欠陥機だというのは自虐である。

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