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エッセイ・コラム

「そして誰も知らなかった」

富岡 喜久雄

 「悠遊」を発行の度に親しい友人に配っている。内容は豊富で多彩だから、もっと広く読ませるべく購入部数を増やしたいのだがが、無償贈与なのでつい控えてしまう。 「悠遊」については会員談話室でも、合評会に出てみたら内容の多種多様さ、水準の高さに意外な発見をしたとの投稿もあった。
 そこで、いつもは自作とタイトルが呼んでいそうな作品と、思わずくすりと笑みが浮かぶようなページしか開かなかったのを反省し、通読してみた。確かに縁の薄いものや、知らない分野は読むのに疲れる。
 音楽分野、特にクラッシックやオペラは門外漢だから、標題を見ただけで飛ばしてきた。 以前に自分で書いたようにタイトルの重要さを再認識した。 そこで拙作「アベベを見た」のタイトルを見直した。
 最近は若い会員が多いので、彼を知らない世代も多いのではと気になった。 そこで「なんでも書こう会」に一文を寄稿し、「あさみちゆき」はどうかと聞いてみた。ペンクラブは洋楽派が多いから、不知か、それでも「ちあきなおみ」のことだろう位の答えが返ってくるかと期待したのである。以下引用する。

『彼女を最初に見たのは二十年も前だろうか。吉祥寺での墓参の帰りに井の頭公園に寄った時のこと。彼女は小柄な体にギターを抱え、ご当地ソングを唱っていた。その後、公園の歌姫としてTVでも取り上げられ、CDも出している。同公園は今年で百周年、小池都知事も祝福に来たと言うので家内と出掛けてみた。そこでは今でも少女歌手が立派な装置を脇に唄っていて、大道芸人まで出ていた。池の反対側に廻ると、人だかりのした円陣が見えた。側に寄り背伸びして中を見ると、ギターを抱えた女性が後ろ向きに立っている。傍の小父さんに聞いた。
「誰ですか、あの人」答えは「あさみちゆきですよ」 だがさらに
「嘘でしょ、もっと小柄で若かったよ」と追及すると
「三十七だもの、しょうがないでしょう」と怒ったような大声の返事が返ってきた。
「すいません、昔、見ただけなので御免なさい」私は思わず謝ってしまった。
 アンプを使わない彼女の歌声は後ろ向きでは聞こえない。待つほどに向きを変えた。
「あさみちゆき」と書いたタスキを斜めにかけている。おや、やはり本物かいな? 昔の彼女は短いスカートで少女風だったのに足首までのロングスカートで細顔。どうも昔のイメージと合わない。偽物じゃないのと件の小父さんに聞こうと思ったが、シニアー切れして殴られては堪らない。止めた。 もし本物なら、あの庶民性を忘れずに「お里帰り」に来たのだと思うことにしようと、帰路のバス停に向かいながら、一枚だけ買った彼女のCD「黄昏シネマ」の歌詞「私は今でもエキストラ」、「それでも好い、それでも好い、同じ時代を生きた」を口ずさみ、若き日の淡い初恋を思い出し苦笑した。 家内は知らぬ顔で歩いている。』 

 最後に参加メンバーからの講評があったが、なんと「評定不能」。何故なら参加者の誰もが「あさみちゆき」を知らなかったからである。 帰路の車中で次の機会には彼女のCDを是非皆に聞かせねばと反省した。

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