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エッセイ・コラム

浜辺の友

大平 忠

 福岡・香椎浜へ来て1年4ヶ月。一人友だちができた。
 昨年の5月、天気の良い日だった。いつものように浜辺を散歩し、ベンチで一休みをしていた。その時、ベンチの隣に私より年配とお見受けする男性が腰をかけた。しばらくして、声をかけられた。「すみません、ちょっとお話させてもらっていいですか」。その男性は、人品骨柄はどうも私より上である。恐縮して「はい、結構です、この通り閑ですから」と返事をし、会話が始まった。
 お互い簡単な自己紹介から始まり、会話は捗った。気がついたら浜辺のベンチで1時間ほど経っていた。名前はDさん。お齢は87才、米寿の大先輩だ。東京・上野で長く働き、仕事が終わったので故郷長崎に帰った。しかし、長崎は坂が多い。他所にいいところはないか探した末、ここ香椎浜を見つけたという。海岸は坂が無いし景色もいい。2年前に転居してきたとのこと。私も横浜から3月に引っ越してきたばかりと話すと、懐かしそうに東京の思い出話になった。勤務場所もお互い最後は上野だったことを知った。あの界隈では何が旨かったかと話が飛んだ。どら焼きの「うさぎや」、甘味処の「三橋」、天ぷらは「河庄」、そしてトンカツは幾つか名前が出たが、味と値段が手頃であるということから、結局「井泉」に落ち着いた。Dさんはこの近所では旨いトンカツがないと言う。しかし、福岡・天神の「大丸」に「井泉」の店があることを発見した。トンカツが恋しくなると買いに行くのだそうである。(その後私も時々行っている)
 日頃何を読んでいるかの話題になって、小説は二人とも久留米在住の作家葉室麟を読んでいることが分かった。こうやって、次へと話が弾んだ。
 見ず知らずの初対面で、これだけ話をした人はいない。二人とも香椎浜へ引っ越してきて、話し相手がいなかったせいもある。年齢もかなり違うのになんとなく気が合ったのだろう。
 それ以後、一月に一、二度会っては、とりとめない雑談をしている。浜辺のベンチ、喫茶店のスターバックス、コメダ、イオンの休憩所など、場所を変えても話す内容はのどかな世間話か思い出話である。ところが、しばらく会わないと、落ち着かなくなり電話を掛けたくなる。Dさんも同じと見えて、絶好のタイミングで携帯が鳴るのである。
 この1年あまり、Dさんのお蔭で、博多や近所の街の知識も増えた。香椎浜2年先輩のDさんは私の先生でもある。

 Dさんと出会って、1年4ヶ月経った。ご近所で私の友だちは未だにDさん一人である。Dさんも、他に親しい友人がいる気配はない。もし一人が欠けるとお互い香椎浜では友人がいなくなってしまう。問題である。気懸りなのは、Dさんは今年で88才、私も79才。なんとか元気で頑張ろうと二人は同じことを時々言い合っている。
 明日あたり電話をしてみようか、いや掛かってくるかもしれない、そろそろそんな時分である。

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