作品の閲覧

エッセイ・コラム

三陸海岸・今は、そしてあの時は

内藤 真理子

 五月の連休明けに、青森に行った。新緑が美しくい奥入瀬を散策し、八甲田のロープウェイで山頂付近に行き、雪山も満喫し、温泉で英気も養った。
 そして、東京に帰る日は、三陸のリアス式海岸を通って宮古まで、のんびりと一般道を行くことにする。
 まず、十和田湖から、およそ120キロ先の太平洋岸にある久慈を目指し、お昼近くに久慈の琥珀博物館についた。
 ここには25年前の今頃、来たことがある。博物館は、3・11東日本大震災の津波で流され、建て替えられたとの説明があった。そういえば、ここに来る途中の山道には、上下する度に「2011年の津波はここまで来た」という看板が何ヶ所にも立てられていた。
 リアス式海岸を南下して行くと、山の上から海が眺められ、曲がりくねった道を海まで下りてくると、広い太平洋が目の前に広がる。
 25年前はそうだった。
 だが、今は全く違っていた。新緑の美しい山道は今も変わらず、眼下には海も望めたが、山を下り、海辺の道になると、濃いチャコールグレーのコンクリートの堤防が、出来上がっていたり、作業途中だったりで、延々と続いている。海は全く見えない。堤防の内側は、瓦礫こそないが、開発もされず、ほとんどが野っ原で、未だに仮設住宅があり、そこに人々が住んでいる。被災してから6年も経ったのに。
 あの、津波の時を思い出す。
 テレビ画面に地震速報が流れた。
「津波に注意してください」 悲鳴に近いアナウンサーの声。画面では一旦引いた波がまるで意志を持った怪物のように押し寄せてくる。大きく膨らんだ波は船を呑み、海岸沿いの家を呑みこみ畑を侵食していく。自動車が走っている。
「あぶない、逃げなければ……」テレビ画面に向かって思わず発した私の声が届くわけがない。映像を見ながらだんだん息苦しくなる。実際に逃げ惑っている人がいるのに…… 荒れ狂った波は人をも巻き込んでいるかもしれないのに……。見ているだけで何の助けにもならない。
 騒動のさなかの石原都知事の「天罰だ」という発言。私も思ったし、多くの人が、自分に向けられた天罰だと己を鞭打ったことだろう。石原氏とて、今現在、災難に遭遇されている方々のことを考える余裕もなく、反射的にご自分の心のどこかにいつも抱えていた、有形無形の過ぎたる享受に対する罪悪感が口を衝いて出たのだと思った。
 被災地に電気が復旧し、テレビでは、安否情報や現状報告があり、不足品、義捐金の募集が始まった。画面上に被災された方々の、辛い目に逢っているのに、普段から身についている、自分を差し置いても周りをいたわろうとする優しさが映し出される。一方、役に立ちたい、辛い目にあわれている人達に申し訳ないという映す側の気持ちも……、双方の心根がありありと映し出されていた。
 震災の当日、首都圏では停電の中、困っている老人に手を差し伸べる若者の姿をたくさん目撃した。かつて“いじめ”の連鎖の中で優しさを表現することをためらっていた若者たちが……。
 日本は再生できるかもしれない。あの時はそう思った。

 道が上下する度にある、『津波はここまで来た』の看板が、
「二度と津波の被害には遭いたくない!遭わせない!」の叫びにも、
「あの時の驕りを恥じた人心を忘れないで!」の悲鳴に聞こえた。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧