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エッセイ・コラム

「奥の細道」翁道中記(その十 雲巌寺、黒羽~黒磯)

池田 隆

 十一日目(平成二十九年三月十七日)
 芭蕉は黒羽の門人宅に二週間滞在し、周辺各地を訪れている。それに少々肖りたいと、雲巌寺へバスで向った。通学する高校生で混んでいたが、学校を過ぎると我々三人だけの貸し切りバスとなる。雲巌寺は山深くにある格式の高い禅寺で、荘厳な伽藍が並ぶ。
  竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば 仏頂和尚
  木啄も庵はやぶらず夏木立 芭蕉
 の詩碑が立つ。芭蕉は参禅の師である仏頂和尚の旧居を訪ねて詠んだ。
 二里半の帰途は歩き。途中、農家の老婆が遠くから「休んでいかんべ」と大声を掛けてきた。親切に甘え、濡れ縁で濃茶を頂きながら老夫妻と歓談する。玄孫まで入れ、五世代が一緒に暮しているとのこと。
 暇を告げ暫く行くと、往きに乗ったバスが後から来て突然止まり、乗って行くかと訊く。丁重に断り、さらに歩いていると今度は先ほど寺で出会った女性が自分の車を止め、また同じことを訊いてきた。なんと親切な方々の多い地域だろう。
 帰路の最後に芭蕉が滞在した家老の屋敷跡や黒羽藩二万石の城址を訪れる。旅の達人である役行者に肖かりたいと詠んだ句の碑がある。
  夏山に足駄を拝む首途かな 芭蕉
 街中に「芭蕉」の二字が溢れている。彼はわずか二週間で黒羽藩を乗っ取り、三百年後までも支配を続けている。「俳人は藩主よりも強し」と実感する。
 (8:00-16:20 27,600歩)

 十二日目(平成二十九年三月十八日)
 那珂川の河原を黒羽より黒磯へ向い北上する。すぐに小径が途絶え、やむを得ず田圃の中を一直線に進む農道へシフトする。快晴だが那須連峰から吹き降ろす強風が正面から吹いてくる。S翁やМ兄も相当に難渋している様子だ。
 「鍋掛」という地まで来ると、無数の白鳥が水を張った田圃で泳いでいる。この白鳥飛来地で面倒を見ている方に出会い、その生態について詳しく話を聴く。数日後には北へ飛び立つという。福島の原発避難者が見たら、きっとその帰郷を羨ましがることだろう。フォト句用に写真を撮り、一句をひねる。
  避難者の羨望残しあす帰郷
 昼過ぎには黒磯駅へ着き、東京への帰途につく。
 (8:00-14:00 25,500歩)

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