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エッセイ・コラム

浄土教の世界 1.阿弥陀仏信仰

斉藤 征雄

 大乗仏教の思想の中心は般若の思想、つまり空を観ずる智慧を完成して悟りの境地にいたることである。したがって大乗経典のなかでも般若経典が最も早く成立した。
 しかし一方で、般若経とほぼ並行して別の流れの経典も成立した。それが浄土経典である。般若経が大乗仏教の哲学を語る経典とすれば、浄土経典は、深い哲学には近づきがたいが仏の導きを求める、大衆の素朴な願いを基礎にしているといえる。

 われわれが生きているこの世界は汚れた国土なので、凡夫にとっては思うような修行ができない。だから清らかな浄土に生まれ変わりたいと願う(厭離穢土、欣求浄土)。そのような願望から最初に考え出されたのが東方にある妙喜国、そこには阿閦仏がいる。
 仏教以前から、熱暑の地に住むインド人はヒマラヤのかなた北方にウッタラと呼ぶ楽土があると考えた。そこは美しく清浄で病気もなく食べ物も豊富、男女は快楽に耽り、死ねば天上に生まれ変わる世界だった。阿閦仏の浄土は、伝統的なウッタラ楽土を仏教的に理想化したものといわれる。
 弥勒菩薩のいる兜率天信仰も浄土思想の一つである。仏教では天上界も輪廻転生の世界と考えられ、兜率天もその一つである。しかしそこには弥勒菩薩がいる。弥勒はブッダの跡を継いでこの世の仏になることが決まっており、現在は菩薩として兜率天で待機しているのである。そこで人びとは、この世の生が終わったら兜率天に往生して、仏に成ることが決まっている弥勒菩薩の下で修行したいと考えたのである。

 西方にある阿弥陀仏の極楽浄土は、このような浄土思想の一つとして生まれた。この阿弥陀仏の浄土思想を説いたのが、浄土三部経(無量寿経、阿弥陀経、観無量寿経)と呼ばれる浄土経典である。「阿弥陀」は、サンスクリット語の「アミタ」を音写したもので、無量(限りなく多い、無限)を意味し、無限の寿命、無限の光のことをいう。
 浄土思想には、理想社会としていろいろな浄土があり、そこへ生まれ変わって迷いを去って仏になるというのが出発点だったが、阿弥陀仏信仰が盛んになるに従って多数ある浄土の中でも、極楽浄土がすなわち浄土と考えられるようになった。
 したがって浄土思想(仏教の宗派としては浄土教)とは、阿弥陀仏を信仰して来世において極楽浄土に往生し、そこで悟りを得ることを願う教えを指すようになったのである。

 阿弥陀仏信仰の発祥地は、インド、ガンジス河上流のマトウラーあたりといわれている。紀元1世紀頃、クシャーナ王朝時代である。イラン系のクシャーナ族が建てたこの王朝はカニシカ王のときが最盛期である。中心地は西北インドのガンダーラで、東西交通の要衝にあり国際性豊かな文化が生まれた。阿弥陀仏信仰もこの地に伝わり、ヘレニズム(ギリシャ風)文化の影響を受けながら発展したのである。そしてこの時期、仏教に仏像が生まれたことも阿弥陀仏信仰が盛んになった要因の一つと考えられる。

(仏教学習ノート37)

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