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エッセイ・コラム

「奥の細道」翁道中記(その五 壬生~鹿沼)

池田 隆

 六日目(平成二十八年十一月一日)
 夜来の雨も朝方に止む。朝食は昨日の夕食同様に女将手作りの自慢料理。泊り客は我々三人だけで、彼女が付きっきりで給仕をしてくれる。親切は嬉しいが、彼女の淀みない饒舌は止まりそうもない。やっと話を折り、席を立ち急ぎ出発する。振り返ると玄関先で手を振っていた。

 雄琴神社の杉並木を抜け、思川の支流である黒川の右岸堤防に沿って行く。義経を奥州藤原氏に斡旋した金売吉次の墓の近くに、高尾神社という小さな社を見つける。女官「高尾」は盗賊に襲われた時に吉次に救って貰った。命の恩人を恋慕い、この地まで追って来るが彼の死を知り、庵を結ぶ。後年それが神社になったという。
 川沿いの小道はやがて日光西街道(壬生街道~例幣使街道)の大通りに吸収される。所々に杉並木もあるが、車が多く風情に乏しい。「楡木」という所で大きくコースを変え、黒川の左岸に渡ってみる。蛇行する広い瀬を透き通った水が秋の日を浴びサラサラと流れる。両岸の竹林の先には初冠雪の男体山と女峰山がくっきりと並ぶ。「奥の細道」の道中だ、一句捻ってみよう。
 芭蕉より座五を借り、
  秋の瀬や唯さらさらと日の光
「日の光」を単なる駄洒落でなく、芭蕉は徳川泰平の世への讃辞としたが、ここでは光陰(時の流れ)を介して無常観に掛けてみた。穏やかな流れも時には濁流となり、川筋までも変える。人生や人の世も同様だ。

 鹿沼市街を川沿いに抜け、御成橋に出る。ここからの例幣使街道は杉並木が十数キロも続く名所だが、歩道がなく歩行者には危険で残酷な道という。明日は迂回ルートを模索する積りだ。東に大きく逸れ、鹿沼土の掘削場を見学し、森の中にプールや庭園も付設する広大なリゾートホテルに到着。係員も親切だ。宿泊費はシングル扱いのツインルーム、朝食付きで6,846円也。温泉大浴場の露天風呂に浸かり、常連風の人にお値打ちの訳を訊くと、民間払下げの旧厚生年金施設とのこと。
 (8:00-15:30 40,000歩)

参照「あらたうと青葉若葉の日の光(芭蕉)」

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