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エッセイ・コラム

「奥の細道」翁道中記(その三 古河~小山)

池田 隆

 四日目(平成二十八年十月三十日)
 十月も下旬に入り天候がほぼ安定してきたので、S翁、М兄と「奥の細道」道中を再開する。JR古河駅のコンビニで昼飯用のおにぎりを買い、出発。前回の最終日同様に、今回も出来るだけ川沿いの小道を歩こうと意見が一致する。

 旧日光街道を直ぐに折れ渡良瀬川方向に向かうと、異様な煙突が見える。近づくと近代化産業遺産で重文にも指定されている煉瓦窯であった。十六角形をした煉瓦造りの大きな建物で、その各辺の外壁にはアーチ型の入口が設けられ、中心点に一本の巨大な煙突が聳えている。ゆっくり見学したいが先を急ぐ。
 渡良瀬川と思川の合流点近くの橋では釣り人が一人で何本もの竿を垂らしている。声を掛けると、鰻、鯰、鮒、鮎、さらに何々が釣れると自慢気である。渡良瀬遊水地を初めて訪れたという連れのお二人は、葦の湿原が広がる雄大な景色を見渡し驚嘆の声を上げる。
 思川の豊かな清流を愛でながら、心も軽やかに歩を進めていく。明治初期までは北関東へ向かう舟運で賑わった河川だったとのこと。乙女河岸跡には大きな御影石の石柱が置いてある。最近の浚渫で川底から発見されたという。日光東照宮の鳥居用の柱だが、黒田藩が運搬中に誤って落したらしい。天変地異にでも出遭ったのか、四百年前の悔恨の念が漂っているようだ。
「思川」は景観も優美だが、名称も演歌の題名のようで色がある。近くの胸形(宗像)神社の祭神「田心媛(たごりひめ)」に由来する名という。成程、この川は「田」を「心」する姫なのか。「乙女」や「胸形」といい、若い女性を彷彿させる川である。
 堤防の遊歩道には延々と桜の並木が伸びている。どれも樹齢二十年ほどの若木だが、一本一本に結婚記念、子誕生記念、金婚式記念などと寄付者の思い出を記した札が付いている。河畔に目立つ白鳳大学の対岸まで来ると、小山の市街である。市役所前の家康所縁の小山評定記念碑を見てホテルに着く。
 (10:00-16:45 39,000歩)

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