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エッセイ・コラム

「奥の細道」翁道中記(その二 草加~古河)

池田 隆

 一昨日の旅立ちに続けて、昨日も歩く予定であったが、雨の予報で、急きょ一日延期した。
 二日目(五月十八日)
 草加駅にS翁、М兄、小生の三人が集合し、旧日光街道を歩き出す。草加煎餅の元祖おせん婆さんの像に見送られ、松原公園を進む。綾瀬川沿いに立派な松並木が2㎞以上も続く。汚染度日本一だった河川を甦らせ、歩道橋を太鼓橋にするなど、旧街道の風情を再現させた市政に拍手を贈りたい。
 越谷市に入ると、一転して無粋な大通りとなる。ただ歩道の幅が広いのは有難い。談笑しながら左右交互に足を出し続け、S翁より古川柳の講釈を聞く。
  芭蕉翁ぼちゃんといふと立ち止まり
  もの言えば口びる寒し前歯欠け
  旅に病んで夢は嬶アを呼びまわし
 私には芭蕉の名句より、これらの迷句の方に共感を覚える。春日部(粕壁)、杉戸と進むにつれ、足取りが重くなり、三人の口数も減っていく。東武動物公園駅まで頑張り、焼鳥屋で乾杯し解散。
  いざさらば居酒屋のある所まで
 (8:00-17:00 46,000歩)

 三日目(五月十九日)
 М兄は所用で不参加、昨日の続きを二人で歩き出す。交通の激しい国道は情緒がないと、駅前から大落古利根川に沿った遊歩道を行く。狭い川幅で流れは速いが、両岸の田畑は長閑である。中世の頃は大利根川の本流だったという。渡し跡には西行が奥州への途上で詠んだ歌
  捨て果てで身はなきものと思えども雪の降る日は寒くこそあれ
の碑がある。さらに上流へと向うと、江戸時代に伊奈氏が掘削した備前堀や琵琶溜井があり、日本三大用水の一つである近代的な葛西用水路とつながる。
 幸手宿で鉄道や国道を東に横切り、権現堂川沿いに2.5㎞も続く細長い公園に出る。江戸前期までは渡良瀬川の本流だったが、現在は上流側を締切り、中川水系の調整用遊水池(御幸湖)となっている。
 栗橋で利根川を渡り、渡良瀬川の左岸の堤防を一路北へ向う。新三国橋で右に折れ、古河の市街へ入る。古河公方館跡などの史跡を見学して、JR古河駅に着く。
 (9:00-17:30 44,000歩)

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