作品の閲覧

エッセイ・コラム

日米の株屋意識

稲宮 健一

 本日は8月15日、71回目の終戦(敗戦)記念日である。この日が近づくと、戦争の悲惨さを伝える番組や、記事が溢れる。悲惨ゆえに二度と戦争をしてはならないという筋になっている。
 筆者は現役時代、レーダーの技術者であったので、米国の電子技術の開発努力が凄まじいものであったことが戦後分かり、貧弱な武器で闘わされた事実を知り、米国の底力に驚かされたのを覚えている。戦争を始める前、この事実を知ることが出来なかったのか。

 Alfred Lee Loomis(1887~1975)、彼は1929年の世界大恐慌の時、株の投機で億万長者になった。その豊富な資金を電子工学、レーダー開発、ロラン開発、原爆開発に注ぎこみ、彼に言わせると、太平洋戦争はレーダーで勝ち、原爆で終わらせたと豪語させた。

 LoomisはYale、Harvard出身の弁護士で、昼は事業に、夜はガレージに研究室を作り、ここに当時の有名な科学技術者を招いた。研究室はニューヨーク在の、Tuxedo Park Laboratoryと呼ばれた。ここで、実用に供せるマイクロ波の空洞型マグネトロンを開発した。マグネトロンは東北大学の岡部金次郎教授によって発明されたものである。その後、レーダーの開発はMIT Radiation Laboratoryが中心となり、10名のノーベル賞科学者と4千名の技術者が組織的に集まり、レーダーの開発を完遂させた。ここに彼の私財が投じられた。Loomis自身も艦船が大西洋を夜間や天候に関わらず航行できるロランを発明している。その後、レーダー開発の科学者が原爆の開発に参加した。この分野でも後押ししている。

 さて、獅子文六作「大番」で加藤大介演じるギューチャンこと、佐藤和三郎はLoomisとほぼ同時代を生きた相場師である。破天荒な生きざまで戦前に投機で巨万の富を築き、戦後も事業家として活躍した。事業に私財を注ぎこんだ点で、Loomisと同じであるが、当時の最先端に寄与することはなかった。日本では株屋には、何となくうさん臭さが伴う。

 今でも、シリコンバレーの起業家が、再利用可能なロッケトや、さらなる宇宙への夢をNASAに依らずに追っている。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧