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エッセイ・コラム

相撲談義

池田 隆

 内田さんが琴奨菊の優勝に因んで、本コラムに相撲のエッセイを書かれた。企業OBペンクラブは多彩な分野の談義で盛り上るが、相撲の話題が少ない。それを残念に思っていた私は嬉しくなった。
 先日のこと江戸通りを蔵前から駒形にかけてぶらぶら歩いていると、一筋奥に蔵前神社を見つけた。旧両国国技館が出来るまで回向院で勧進相撲が催されていたことは知っていた。だが更にその以前この蔵前神社で行われていたことは境内の説明板を読むまで知らなかった。谷風の63連勝を小野川が止めたのも此処だという。
 境内を囲む石柵には一本一本に鏡里、吉葉山、千代の山、栃錦などの名前が刻まれている。そのなかに三根山の名も見つける。私は栃錦の大ファンだったが、三根山も好きだった。あんこ型でがぶり寄りや押しを得意技としていた。今の琴奨菊を連想させる真面目で何処か憎めない風貌だった。
 栃錦の二枚蹴りなどにかかるとコロリと倒されるが、勝つときには直線相撲で一方的に勝負を決めていた。それにつけても今場所の琴奨菊は前に落ちないようになったものだ。想定外の優勝だったので、新たなトレーナーのお蔭だとか、美しい新妻の魔力だとか、いろいろと議論は尽きないが、それらに応えようと努力した本人の誠実さと素直さを称讃したい。
 栃若や柏鵬の時代に比べて、この数十年は日本人有望力士の多くが大学出身者で占められている。彼らは幕下付出しなどの優遇処置を受けながらも伸び盛りの頃に怪我で挫折するケースが多いように見受ける。学生時代に小山の大将となり、しっかり身体を鍛えていないせいだろう。中学を出てすぐに角界入りした若貴兄弟は横綱になるまで殆ど怪我をしなかった。
 大学出身で横綱になったのは輪島と旭富士だけである。猫も杓子も大学までいきたがる社会は考えものだ。実社会の方が本人の人格形成や肉体鍛錬にとって適している職種は数多ある。行き過ぎた高学歴神話が日本人力士の停滞を招いているのではなかろうか。

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