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エッセイ・コラム

年賀状

金京 法一

 大方の日本人にとって,年末年始の仕事の一つは年賀状ではなかろうか。十二月になると、年賀状のことが気になりだす。誰に出すかをある程度計算して葉書を仕入れる。以前はもっぱら印刷屋に出向き、デザインや文章を決めて、印刷してもらったが、最近ではパソコンでの印刷が一般的となり、郵便局でも印刷した年賀状を売っているので、印刷屋の世話にはならない。もっともパソコンでの操作ができることが前提だが。

 かつては百枚ぐらい書いていたが、相手が亡くなったり、何となく疎遠になったりで、今は五十枚ぐらいである。それでも家内が存命のころはパソコンで処理していたので、大した手間では無かった。ところが家内が亡くなってからはパソコンの操作が分からず、手書きする羽目になった。字がとびきり下手な小生にとってこれは大問題である。いろいろ考えた末に手抜き年賀状を出すことにした。郵便局に行って絵や文字が印刷された年賀状を買ってくる。住所氏名電話番号はゴム版で間に合わせる。これだと郵便番号と宛て先さえ何とかすれば凌げる。下手な字で書かれた宛て先も何とか判読されたのであろう、一枚も返送されてこなかった。

 出すのは苦労であるが、貰うのは嬉しいことである。一年のハイライト行事を書いてくる人。孫の成長を伝えてくる人。中には天下国家の現状を憂える人。何も書いてなくても健康であることが分かるだけでも嬉しい。

 最近増えてきたのが年をとったのでそろそろ年賀状をやめたいという終活メッセージ入りの年賀状である。気持はよくわかるし、こちらも来年はそういう年賀状を出そうかとも思う。ただそう言ってくるのはほとんどが九十歳近い方々であり、小生にはまだ早いのかとも思われる。

2016.1.15.

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