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エッセイ・コラム

初詣はお稲荷さん

西川 武彦

 生まれてから七十年余り、出産以外で入院したことがなかった七歳年下の連れ合いが、卵巣ガンの手術を受けるため一月余り入院した。年の瀬が迫る頃である。外交はどちらかといえば得意だが、家事は無精と決め込んでいたから、傘寿を目の前にして「主夫」は楽ではない。五十歳をはさみ、都合五年弱内外で単身赴任した経験はあるが、外地ではお手伝いさんがいたし、北の大地ではススキノで明け暮れていた。たまにはそこからお手伝いさんが来ることがあったかもしれない。
 それから四半世紀が過ぎた今、炊飯器、洗濯機、電子レンジ等々、電気機器類は、微妙に精巧に進化していて扱いに手こずった。もっとも困ったのは、トースター機能もついたレンジが、滅茶苦茶な扱いに愛想を尽かしたのか動かなくなってしまったことだ。そうなると、独身に優しいはずの冷凍食品からは冷たくされるし、魚を焼く網が所在不明なのでパンもやけない。現役を退いてから忘れていた「冷や飯を食う」の出現である。
 これらの不便と悪戦苦闘して解決策を自分なりにやっと見つけた頃に、連れ合いが退院した。一緒に血圧を計ると、病人さん方は手術の余韻でかなり低目なのに、爺様の方は平均値をかなり上回っていた。目が廻ったのはそのせいかもしれない。退院して年を越す頃には、元気が旗印の彼女だけに台所仕事を再開した。順調に復調しているようではあるが、正月明けには再入院して、抗ガン剤治療が暫しあるという。
 これから先どうなるかはOnly God Knows というわけで、年明け早々、元旦に初詣することになった。混んでいるところ、階段が沢山あるところ、歩く距離が長いところは駄目だという。例年お詣りする北沢八幡宮はこれら三条件を満たさない。やむなく爺様が選んで承諾を得たのは、自宅から百メートル足らず緩い坂を上りきった角にあるお稲荷さん。爺様が生まれる前からある。この界隈の大地主であるY夫人がたまに掃除しているから、どうやら屋敷神らしい。五坪足らずのスペース。一人がやっと通れる幅の石段を数段上って赤い鳥居をくぐり、数歩進むと祭壇があって、寂しげなお賽銭箱もある。祭壇の手前左右には片手に収まる程度の埃をかぶった白狐が数対ずつ並んでいる。鏡餅が供えられている。お賽銭箱には幾ら入れようか…、一瞬躊躇ったのち銀色のちょっとだけ重いコインをコトリ。柏手を打って頭を軽く下げて終了。物足りない気がしないでもなかったので、五分ほど先の商店街の外れにある道了さんに足を運び、もう一枚同じものを入れて手を合わせた。こちらは天狗祭りで知られており、縦二メートルはある天狗の面が神興舎に飾ってある。お稲荷さんの総本山は伏見稲荷神社、片や道了さんこと道了尊のご本尊は伊豆の大雄山最乗寺という。何れも分家が何千とあるらしい。下北沢にあるのはサイズからいえば、子会社どころか孫会社の端くれであろう。今年は申年なのに狐のお稲荷さんにお詣りというのもいかがなものか、効果はあるだろうか…、とご隠居は呟いている。

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