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エッセイ・コラム

東芝株主総会に出てみて

池田 隆

 資本主義社会を成りゆきに任せたままで良いのだろうか。前世期末にソ連が崩壊し、中国も今や資本主義国家になったが、それに替わる有力な経済システムは提起されていない。しかし有限な資源と環境問題から限りない経済成長は許されず、ゼロサム社会での自由競争が深刻な格差を生んでいる。
 実経済に疎い一老人がこんな大問題をひとりで悩んでも、どうなるものでもあるまい。そう思いつつも、資本主義の基盤は企業だ。その最大行事である株主総会の実態を自分の目で確かめたかった。
 長年勤務した東芝で三代の社長が絡む粉飾決算が明るみとなり、新たな取締役と不適切会計の情報開示が臨時総会の議案になるという。いつもは形式行事となる総会も、今回は実質的な討議決定が行われるかなと出てみた。
 出席者は二千人、討議は四時間に及んだ。壇上の数十名の経営陣は針の筵に座ったように緊張した面持ちに見える。議長の新社長が中心となり、次々と質問者や提案者に丁寧な言葉使いで答えていく。
 だが、その内容は「……に最大限の努力を致します」、「第三者機関の調査結果を俟ちます」、「社外取締役にお願いします」などと尻尾を出さない回答ばかり。新鮮味に乏しく、具体的な将来展望や信念が見えない。
 最後の議案評決時に出席者の賛否を数えずに、「委任状と合せて」と述べるだけで票数の報告もなく、会社側の意図通りに決議していく。結果は予め分っているので、居並ぶ経営陣も神妙に演技をしていたのだ。やはりガス抜きの茶番劇だった。
 会場を後にしながら、総会の形骸化の原因について考えた。一つは企業経営者に短期的な業績を周囲が求め過ぎていること。二つ目は個人以外の法人組織が株式の過半を所有することである。
 個人の小資本を集めて民間の自由な活力で大事業を行うのが資本主義の原点である筈だ。株式の短期的な投機取引と、利権を共有する大法人間の株式保有を禁止しなければ、民意は資本主義から離れていく。

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