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エッセイ・コラム

大乗仏教の成立

斉藤 征雄

 大乗仏教運動は、部派仏教の教理と出家者の僧院における生活が一般大衆の信仰とかけ離れたものであることを批判して起こった。そして自らを大乗と呼び部派仏教を小乗と呼んでさげすんだ。
 人間はいくら修行してもブッダには及ばないと考えた部派仏教では阿羅漢になるのが目標だったが、大乗仏教はブッダを理想的な仏身として描く一方誰でもブッダと同じ仏になれると説いた。また部派仏教の出家者には大衆を救済するという意識がなかったが、大乗仏教は自己の悟りはもとより生きとし生けるものすべての救済を目指すいわゆる利他を重視する考えであった。それは慈悲の心から発するものである。そこには出家と在家の区別はなかった。つまり大乗仏教は在家の信者にも悟りの道を開くものだったのである。
 それを実践する人を菩薩と称した。部派仏教では出家の修行者を声聞や独覚と呼んだが菩薩は大乗仏教に特有のものである。(菩薩については項をあらためて述べる)

 こうした大乗仏教運動の主体には、部派仏教の出家者の一部や市井の説教者さらには在家の一般信者などが関係していたと考えられるし、仏塔信仰や仏伝文学などの仏教の新たな流れも無縁ではないと思われるが、はっきりしたことはわからない。また大乗仏教は初期の段階では教団組織そのものが確立していなかったともいわれる。そうした中で唯一確かなことは、紀元前後から2~3世紀の間に初期大乗経典と呼ばれる膨大な経典群が創られたことである。ただ、制作者がどのような人たちだったかはわかっていない。 
 初期大乗経典の主なものに「般若経典」「維摩経」「法華経」「華厳経」そして「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経などがある。これらの経典には大乗仏教の考え方がくまなく説かれている。したがって大乗仏教とは何かといえば、大乗経典そのものであり、それを受け入れる仏教が大乗仏教だということができるのである。

 これらの経典は、いずれも冒頭に「このように私は聞いた(如是我聞)」と述べて、ブッダが説法したことを書いているような体裁になっているが実際にはブッダの死後500年以上経ってから創作されたものである。民衆の間で語られていた説話や仏伝文学をを素材にして戯曲的な形式をとって構成し、その中に大乗仏教の教理の考え方を織り込んで創られたのである。
 そのため当初は「大乗は仏説にあらず(大乗非仏説)」との批判もあったといわれる。

(仏教学習ノート⑳)

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