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エッセイ・コラム

一億総活躍社会

内田 満夫

 安倍首相が「一億総活躍社会」ということを言いだした。世の反応はさまざまだが、元気な老人にも活躍してもらおうというのであれば結構なことだ。
 この9月に履歴書を2通、書いた。新聞求人欄の「年齢不問」がふと目にとまって応募したのだ。年齢不問をあえて謳う求人は珍しい。募集・採用時の年齢制限が原則禁止となって久しいが、建前と本音の二枚舌が世の常である。実際には定年を設けていたり、採用側の期待年齢帯があったりして、70歳代の求人は皆無といってよいのが現状だ。定年退職後に10年間勤めた第二の職場を70歳で辞めたあと、求職のチャンスをうかがっていた。
「活躍」の意味を私なりに、経済活動への貢献、と解釈することにする。「総」活躍だから、赤ちゃんから老人までだ。経済は、生産・所得・消費の三面等価活動の循環である。赤ちゃんでさえ親の手を通じて消費の面から貢献できる。老人は年金というかたちの所得を、消費に振り向けることにより貢献する。問題は元気のあり余っている老高年者だ。多くは企業OBである。これの活躍の場がなければ、益々増大する膨大な年齢層が、国に年金支出負担を強いるだけの存在になってしまう。年金所得を消費に振り向けるとしても、GDPの底上げに寄与するところまではいかない。
 老高年者層に門戸を開いている業種・企業は、ごく少数だが存在する。年齢定年なしを実際に実現しているところもある。しかし年齢による制限や定年の慣行を、漫然と踏襲しているところがまだ大半だ。老高年者は、現役世代がフルパワーを発揮するための下支えが自分たちの役割であることは弁えている。老高年者が生産活動に参加して得た所得は、年金に上乗せして間違いなく消費に回るから、GDPの底上げにそれなりの寄与ができるはずだ。世に物申したい。元気な老高年者を仕事から締めだすな、と。
 件の求人だが、一社は面接のうえ不採用。一社は面接までいかず履歴書が返送されてきた。

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