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エッセイ・コラム

オリンピック崇拝はほどほどに

内田 満夫

 新国立競技場の建設費で大騒ぎしているところにエンブレム問題も加わって、東京オリンピックはまさに泣き面にハチ状態である。その間に2022年の冬季オリンピック開催地が北京に決まったが、当初名乗りを上げていた六都市のうちなんと四都市が立候補後に辞退したという。理由は費用の問題や住民の反対とのことだ。開催国や都市住民にとって、オリンピックが必ずしも魅力あるイベントでなくなりつつあることを強く感じさせるできごとだった。
 東京大会の採用種目争いもそろそろ決着の時期をむかえる。メダル争いをする各国と競技団体の思惑が絡まって、際限なく見苦しい争いが繰り返されてきた。定番でない種目の選手たちはそのたびに一喜一憂させられている。また、ビリヤードとかボウリングとかスカッシュとか、レジャーとしか思っていなかった種目の名が突然出てきていつも驚かされる。マイナーな種目にとってはオリンピックの注目度は大きな魅力だから、採用を指向し普及に弾みをつけたいのは理解できる。
 しかし世界一線級の選手の活躍する舞台がすでに整っている種目は、オリンピック、オリンピックと騒ぐことはない。たとえばテニス界ではウィンブルドンをはじめ四大大会の権威が確立している。陸上競技、水泳、柔道、サッカー、バレーボールなどのメジャー種目では、そのほとんどで世界戦が開催されオリンピックに勝るとも劣らない位置づけと権威を獲得している。トップ選手は種目ごとの世界戦を最大の目標にして結集すればよいのだ。
 日本IOCは北京の倍増の十四個の金メダル獲得を目標にして、選手と競技団体を煽っているらしい。メダル獲得とか国威発揚とか経済効果などの思惑を絡めるのはやめにしよう。オリンピックは本来の意味の平和の祭典でよいのである。主役は選手であり、主催するのも国ではなく都市だ。わが国の政府も競技団体も選手も国民も、オリンピック崇拝からそろそろ目をさます時期ではないだろうか。

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