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エッセイ・コラム

二人の手紙

木村 敏美

 昨年暮れ、小学校低学年で同級生だった男の子から、私宛に一通の手紙がきた。彼とは同窓会では会ったが交流はなく、平成二十六年四月に発行された「悠遊」二十一号を十月に送っていたのでその事だろうと思った。

 私は、小学三年まで九州の山奥の小さな村で育ったが、生涯忘れられない出来事があり、漠然といつか形に残せないかと思っていた。それは一年の時の担任の女の先生が優しくて美しく皆大好きで、二年の担任が男の先生に代わった時の事だ。
 僅か十七名の幼い子供達が一丸となって男の先生を拒否し、全員教室に立て籠り、二年生も元の女の先生に担任してもらう事に成功したのである。山奥という環境なのか、昭和二十八年という時代背景なのか、真相は定かではないが、子供達の思いが通じた何とも微笑ましい思い出だ。

 平成二十五年に「企業OBペンクラブ」に入会することができ、この体験を「小さな手が小さな歴史を作った」という題で「悠遊」に載せる事ができた。また、入会して初めて800字文学館に投稿し、過疎となった故郷を書いた「村を守る愛しき人々」も出すことができた。「悠遊」二十一号とエッセイを、幸いにも健在でおられる先生と、連絡のつく同級生に送ったのが十月だった。数日後殆どの人から電話や手紙がきたが、彼からは連絡がなかった。

 分厚い手紙の封を開けると、季節の挨拶が流れるような文で書かれ、幼い日の彼と結びつかず戸惑いながら読んでいるうちに、これは奥様が書かれているのだとわかってきた。本が届いた日彼が「立派な本を贈って戴いたのだから電話では失礼、自分で手紙を書く」と言って筆記用具を机に出したまま三ヶ月過ぎてしまい、私が「シビレ」を切らして書いている有様です、としるされていた。
 自分も本を読んで感動したこと、故郷を離れた今も、山林を持っている彼と一緒に村をよく訪れているので、村人との交流もあり、エッセイにも共感したこと。酒を飲みながら思い出話をする時の彼は子供にかえった目をして、悪戯坊主だったことがわかるとか、気持ちや様子が細やかに表現されていた。四枚にもなった手紙の終わりの方に「おしゃべりするのは簡単だが文にするのは難しくやっとの思いで書きました」とあったが、美しい文字と文章は「ペンクラブ」への入会をお奨めしたいくらいである。最後に二人の連名が書かれ奥様の名前の下に(代筆)と書かれていた。傍にいた主人も「いい奥さんだなあ」と感心しきっていた。

 そして最後の一枚が彼の直筆の手紙だった。四角い字でお礼の言葉と近況が書かれ、短いけれど誠実さが伝わってきた。同窓会の時、しみじみ「俺の人生は幸運だった」と言っていた彼。この奥様との出会いが最高の幸運だったのだと二人の手紙が何より証明している。幸運はただ降ってくる訳ではなく、呼び寄せる力もいる。腕白だったが優しい印象があった彼。気持ちはあるが、書けない彼に「シビレ」を切らして、四枚も書かれた奥様の手紙と、彼の一枚の手紙は、あの幼い日の記憶のように微笑ましく、夫婦の愛が感じられた手紙でもあった。

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