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エッセイ・コラム

ブッダの出家

斉藤 征雄

 小国とはいえシャカ族の王の子に生まれたブッダは裕福な環境にあったが、29歳のときにその快適な生活と妻子を捨てて出家した。当時多くの出家者が生まれ、ブッダもその一人であったことは既に述べたが、その宗教的な動機は何であったのだろうか。
「四門出遊」という伝説によれば、ブッダはある日宮殿の東の門から遊びに出ると老人に会った。次に南の門から出ると病人に会い、更に西の門から出ると死人を見て、老病死を免れないことに深く思い悩んだ。最後に北の門から出遊すると、みるからに清々しい形相の出家者に出会って出家の決心を固めたとされている。これは後世に脚色された物語であるが、人が生まれて老病死に苦悩する姿が、ブッダを把えた一貫した問題意識であったことは間違いなさそうである。
 初期の仏典はブッダの言葉として次のようなことを述べている。
「私は恵まれた環境に生まれ華やかで贅沢な生活を送っていたが、ふと疑問が生まれた。誰しも老いたり、病気になったり、さらにいつかは死ぬ運命にあることが避けられないのに他人の老病死を見ると嫌悪する。それは自分が不安であるが故に、自分自身をその不安から回避しようとするからにすぎない。このように考えると、私の若さや、いま健康でいられること、さらには生きていることに驕慢の気持ちをもつことはことごとく打ち消されてしまうのである」
 ブッダ自身が若さと無病と生のただ中にありながら、老病死の問題に深くとらわれたのは、それを自分の個人的な問題としてだけではなく、人間の普遍的問題として把えたからに他ならない。そしていかにして老病死を超えるかという課題を前にしながら、自分が若さと無病と生に驕慢の気持ちをもつことは理にかなわないと自覚するのである。
 驕慢の反対語は謙虚である。ブッダは驕慢を払いのけて何に謙虚になろうとしたのか。それはまさに今の生が、確実にいずれは死によって奪い取られるという事実に対して謙虚になるということだろう。老病死の事実をあるがままに謙虚に受け止め、それを超えることを自分の命題としたことに宗教者ブッダの出発点があったのだろうと思われる。

 ただ、こうした問題意識を理解はするにしても、ブッダが妻子を捨ててまでも出家しなければならない使命感と緊迫した動機につなげたことは私の理解を越える。凡夫である私であれば、当然のことと言えようか。

(仏教学習ノート④)

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